2012/03/06

福島に行ってきた(その2)

(その1)からのつづき 



で、地元に人と話したくてバーに行った。バーなんて一人で行ったりしないのでこれまた緊張しつつ、若者がいそうなお店を看板とメニューを見て選んで入る。7~8人座れるカウンターとテーブル3つのお店で、23時過ぎだったかな、カウンターはほぼ満席でテーブルも1つ埋まってる感じ。ちょっとつめてもらってカウンターに座らせてもらう。

テーブル席はパッと見20代前半くらいの男女。合コンなのかな「え!?ノーパンノーブラで寝てんの!?マジで!?じゃあさ、じゃあさ...」という感じの楽しそうな会。直前まで、福島はどんな感じになっているんだろうか、道行く人がみな沈んだ顔をしてたりしたら辛いな、こんな理不尽な汚染と苦労を背負わされて...、などと想像していたけれど、やや拍子抜け。 

話したい気持ちが伝わったのかバーテンさんが話しかけてくれた。今回の経緯を説明して「福島、やっぱ気になるので。」と言うと、ニコッと笑って「あざす。」と。震災でお客減ったりしました?と聞いてみると、「去年の夏は復興支援だったり、浜から避難してきた人でめちゃくちゃ人が増えてたんですけどねぇ。夏休み終わって減ってきて、今はまぁ、どうっすかねぇ。」という感じ。ニュースでは、 
2月1日現在の福島県の推計人口は198万814人で、事故前(昨年3月1日現在)より4万3587人減少。公立の小中学校に今春入学が予定される児童・生徒が2割の減少。小中合わせて66校で新入生が半分以下となる。 
なんていう話もあって人が少ないんじゃないかって思ってたけど、福島市に関しては避難して来る人と避難して行く人の両方がいて、さらに一時的に外から来る人も滞在するので、人の数はそんなに変化がないのかな。 

話を聞いていると、バーテンさんのお姉さん一家は小さな子どもがいるので山形に引越したとか、カウンターのお客さんは双葉から避難して来てて先日一時帰宅してきたとか、やっぱり影響はすごくある様子。

日付がかわってから来店したお客さんはサーファーで、聞けばこの方も浜通りから避難されてきたと。すごく陽気な方で楽しく一緒に飲ませてもらったけど、「福島の波が最高だったんだよ...。」っていう話をしながら目に涙を浮かべられる場面は胸が痛かった。

1年っていうのは、引っ越した先で馴染みのバーができて、見知らぬ他人につらい出来事を笑い話にして話せるような時間なんですね。なんだけど、やっぱりまだ傷は疼くし、原発事故に関しては現在進行形だし、っていう、ううん...。「負けてられない。」「悔しい。」っていう言葉をたくさん聞いた。これは泡盛の飲みっぷりで負けてられないの意味なのか震災のことなのかよく分かんなかったけど、両方なのかな。



 お店の人のはからいでアルコール60%の泡盛「八重山」が出てきたりでひどく酔ってしまった。最後のほうは、みんなと握手してハグしてとても楽しいお酒だった。何を話してたのかあんまり覚えてなくてひどいことを口走ってなかったかがちょっと心配。ツイートを見てみると、結局なんだかんだで4時前まで飲んでたのかな。

どうやってホテルに戻ったのかもまったく思い出せないけど、翌朝目覚めるとちゃんとベッドの上で寝てた(帽子かぶってコート着て靴履いたまま)。 話し相手になってくれた人には名刺渡して「滋賀県遊びにきてください」と伝えてみた。本当に遊びに来てくれるといいなぁ。
(つづく)

2012/03/05

福島に行ってきた(その1)

「山形県鶴岡市での調査に行ける人がいなくて困ってるんだけど、行ってくれないかな...。」というメールをもらい、ついに東北に行く用事ができたとふたつ返事で引き受けて、3月2日~4日に行ってきた。

滋賀から鶴岡までの経路を調べてみると「寝台特急日本海」という素敵な夜行列車があってこれに乗れたら素敵だったけど、この3月のダイヤ改正で廃線になるということで鉄道ファンが押しかけたのかすでに満席。仕方なく羽田経由の飛行機で山形入りすることにして、帰りも飛行機を使うのが時間的には最短経路だったけど、どうせ前後泊して移動に半日使うんだったら寄り道したいということで、今一番気になる場所、福島に寄ってきた。

気になるというのはもちろん原発事故のことで、事故現場の現状、汚染の状況、健康被害、経済被害、補償、原発の背景や歴史、これからのエネルギー政策、いろいろと気になることがあるけど、中でも一番気になるのは今福島で暮らしている人たちの様子。いろんな苦悩や葛藤を文章や映像で伝え聞くけれど、実際のところどんな感じなのか知りたくて、でも、知ったところで何ができるわけでもないだろうし、興味本位で訪れて福島の人たちは不愉快に思わないだろうか、そもそも1泊したくらいで何かが分かるとも思えないし、などと躊躇しつつ、ま、仕事の帰りに立ち寄ってお酒を飲んで散歩するくらいだったらいいか、と。

3月2日に出発で羽田から庄内空港に行ってバスで鶴岡に移動、翌3月3日が調査。終わってすぐに電車に乗って、羽越本線で余目(あまりめ)、 陸羽西線で新庄、山形新幹線で福島へ。奥羽山脈越えの陸羽西線、車内アナウンスで「運転手の後ろのドアしか開きませんのでご注意ください。」と。どういうことかと思ったら、駅のプラットホームに雪が積もっててドアを開けても降りれないんですね。驚いた。

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調査が予定よりだいぶ早く終わったため福島駅に到着したのが20時前。ちょっと緊張しつつ電車から降りて、予約していたホテルに向かって歩いて移動。

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ホテルにチェックインして「福島からありがとうキャンペーン」のパンフレットを渡される。
あなたが遊びに来てくださること。
それが、ふくしまの私達にとって何よりのエール。
と書かれてて、用事もないのに遊びにいったりしていいのかという心配が消えてちょっとホッとした。



ご飯を食べに街に出て、目的のお店や食べたい物が特にあるわけでないのであてもなくブラブラ。町を歩く人たちにマスクをしている人はあまりいなくて、空間線量が高いことは体で感じるものでなく、事故の影響はパッと見た感じ何もない。以前の福島駅前を知らないので何とも言えないけど、極端に人が少ないとか雰囲気が沈んでるってこともなく、お店からは酔った人たちの笑い声が聞こえてくる、普通の土曜の夜の地方都市、といった風情。

「焼餃子、すごかったね~」と言いながら餃子屋さんから出てくる人たちがいてその満足気な表情を見て餃子屋さんに決定。



入ってメニューを見ると、1皿のデフォルトが20個らしく、一人でそんなに食べれるか尋ねてみたら、「はい、ぜんぜんいけますよ。初めての方には、『焼』と『水』の10個10個をおすすめしてます。」と。すすめられるままに頼んで20個、ダイエットしてる人にはちょっと多い。とてもおいしいんだけど、カロリーだけじゃなくてベクレルという単位が頭をよぎってしまうのが本当に残念。

帰り際、「遠くから来られたんですか?」と聞かれ滋賀県と答えると、「ちょっと、滋賀県からですって!ちょっとちょっと!」とお店のスタッフの皆さんが呼び集められて、「滋賀県?ああ、それはそれは。いやねぇ、滋賀県の方、よく来てくださるんですよ。ほんとお世話になってます...。」と満面の笑顔で歓迎して下さる。聞けば、滋賀県庁の職員がたくさん福島県庁に派遣されててその方たちがよく来店するとか、朝日新聞の大津局の記者がちょうど昨日来たとか、とにかく滋賀の人がよく来てくれる、とのこと。関西広域連合の被災地支援、滋賀の担当が福島なんですね。

で、地元の人と話したくて、バーへ。

2012/02/22

最近読んだ六冊の本

今年は本をたくさん読もうと思っています。全部ちゃんと感想文を書きたいけど、なかなか追いつかないので、まずは読んだ本のリストだけ。

Twitterのタイムライン見てて思うのが、ブログなどに本の感想書いて著者にメンションするとかなり高い確率で感想文を著者本人に読んでもらえるんですよね。今までも手紙などを書けば届いてたんでしょうけど、Twitterだと著者ご本人のリアクションがすぐに返ってきたりしますね。Twitterしてる著者の本を選択的に読んじゃいますね。そして読みっぱなしにしないで感想を届けたい、って思いますね。

 

川上弘美の「神様 2011」。 イルコモンズのふた で知った本。2011じゃないほうの「神様」も幻想的でユーモラスで、きれいなんだけど、死臭が漂ってて、なんとも言えず印象的な短篇集でした。



タナカカツキの「サ道」 。
”サウナはなぜ存在するのか?”を真剣に考え、その理論を実践、サウナの道を探求しバカバカしく赤裸々にその愛を綴った、”サウナ哲学書”。 rirelog.com/archives/30534
↑このブログで見つけて買った本。高校生の時にバカドリルにはまてました。そして実はものすごくサウナが好き。買わざるを得ない。で、サウナは手軽に涅槃の境地を体験できる施設なのですね。なんでこんなにサウナが好きなのか、ちょっと理解できました。「スーパー穏やか」です。


安冨歩の「原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―」。

徹底的に不誠実で自己中心的でありながら、
抜群のバランス感覚で人々の好印象を維持し、
高度情報処理能力で不誠実さを隠蔽する。
まさに僕のことなんじゃないか、と序盤でガツンと不安にさせられ一気に読まされてしまいました。これはちゃんと改めて感想を書きます。


安冨歩の「生きる技法」。同じく安冨先生の新しい本。他の本でもそうなのですが、ご自身の経歴や私的な体験談がところどころに挟まれていて、それがまた人間臭くて魅力的です。「借りてきた言葉で机の上で書かれた文章」の真逆で、「体を張ってにじみ出てきた文章」という感じがして、とても響きます。






東浩紀の「一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル」。政治には興味がずっと持てずにいたけど、去年からにわかに民主主義って何だ。。。などと考えるようになりました。ルソー、フロイト、グーグル、全部興味あるじゃん!というわけで買った本。311前に書かれた本だけど、311後にフィットしてる部分も大きいように思います。ウェブが意思決定のあり方を大きく変える予感についてはとても共感できました。




アルフレッド・W・クロスビーの「数量化革命」。まだ全部読んでないけど、時間(暦や時計)、場所(地図)、芸術(絵画や楽譜)、会計、これらが定量的に捉えられるようになって変化した中世の西ヨーロッパ人の世界観、これが今の西洋の覇権をもたらしているのでは、という本。「定量化」については、311以前からもやもやと考えさせられてるのですが、311後の命と経済を天秤にかけるような議論を見てて、以前から感じていた「何でも数字で表現しちゃおうという発想への違和感」が大きくなって、全ての元凶としての「数量化」という目線で読み始めた本。ちょっと冗長でくじけそうになりつつ読んでるところです。



またおいおい感想文書きたいです。

2012/01/27

家族内呼称、精神障害、東大話法、RATM、唯識、ソシュール、ラーメンズ

お父さんが子どもに向かって「お母さんが...」と言うとき、この「お母さん」は話者の妻であって母ではありません。お婆さんが孫に向かって「お兄ちゃんが...」という時、それは孫から見たお兄ちゃんを指します。最年少者の目線に合わせる日本語の家族内呼称についてはたくさん研究されているようで、ググると面白そうな論文がいろいろ出てきます。家制度や役割について、ジェンダーについて、深層心理について、日本文化について、いろんな切り口の論文があります。

個人の名前があるのに名前で呼ばず、家族内の役割の名称で呼ぶあたり、日本の役割重視の文化の片鱗がうかがえ、また、最年少の目線に合わせる優しさが表れているとも見えるわけですが、これに関連していくつか思い当たることがあったのでメモ。 

まず、僕のなじみのあるところで「精神障がい者」の呼称について。古くは「癲狂(てんきょう)者」、明治に入って「精神病者」、昭和になって「精神障害者」、最近だと「害」がひらがなになって「精神障がい者」。日常的に使われる言葉でも「当事者」や「利用者」「メンバー」いろいろあります。

英語でも同じで、20世紀に入るまでは「loons」「lunatics」「imbeciles」など「狂った人」の意味の言葉が用いられ、その後は患者や入院者の「patients」「inmates」、そして70年代移行「ex-patients」「survivors」「consumers」、2000年以降では「peers」などなど、です。今お手伝いしている論文では「individuals with mental health difficulties(精神健康に困難を抱える人たち)」という表記です。 

それぞれの呼称はそれぞれの時代で良かれと思って名付けられているはずなのですが、なんでこんなに変化し続けるのか、と考えると、やはり、差別や偏見によってもともとの言葉の意味が歪められ、そこから脱却すべく名前を正して、ということが繰り返されているということなんだと思います。 

呼び名をコロコロ変えても、その背景にある思いや態度が変わらなければ何も変わらないとも思ってましたが、でもやっぱり「名前」と「中身」って密接不可分なのもので、名前もやっぱり大事なんだな、と最近思うようになりました。

 またしても登場の安冨歩先生(「東大話法」がAmazon の「社会一般」部門の売上1位なんですね!そうなると本を買いたくなくなるのはなぜなんでしょうか。図書館で借りようと思います。)、よく「名を正す」「言葉が歪む」といったことを書かれるのですが、たとえば、 

実体に即さない名称を与える、という行為は、人間の思考と判断力を奪います。それは、人間を人間として扱わない事態に帰結するのであって、どんなに瑣末に見えることだとしても、非常に危険なのです。

 本当にそうだと思います。 原発事故に関しても「事故」を「事象」、「老朽化」を「高経年化」、「汚染水」を「滞留水」、「放射性汚泥」を「廃スラッジ」、「後でどうなるか分からない」を「ただちに影響がない」などなど、実体に即さない名称を用いたごまかしがたくさんあるわけですが、「撤退」を「転進」、「全滅」を「玉砕」、「敗戦」を「終戦」と呼ぶのと本当にそっくりですね。 

目を背けたくなる現実に、実体からかけはなれた名前をつけて目をそらすこと、一種の防衛機制なのかもしれないけど、やっぱり、臭いものに蓋してるだけだといつか破綻するんですね。 

で、この「名を正す」というのは、元は孔子の「論語」だそうで、 

子路曰 衛君待子而為政 子将奚先 子曰 必也正名乎
(子路が言った。「衛の君主が先生に政治を任されたとすると、先生はまず何をしますか。」先生は言った。「きっと名を正す。」 )

ここによると、その続きは、 「名が正しくなければ、話の筋道が通らず、話の筋道が通っていなければ政治は成功しない。政治が成功しないと礼楽の文化は振興せず、礼楽が振興しなければ刑罰が公正でなくなってしまう。刑罰が公正でなくなってしまえば、人民は手足をゆったりと伸ばすことさえ出来なくなってしまう。」おお、その通り。。。

で、「名前」で思い出したのが、Rage Against The Machine の「Killing In The Name」



歌詞をググッて見ると、繰り返しが多いので実質5行くらいしかなくて、
Killing in the name of
Some of those that run forces are the same that burn crosses
And now you do what they told ya
Those who died are justified, for wearing the badge, they're the chosen whites
Fuck you, I won't do what you tell me 
ここによると、「burn crosses」の「はりつけ台を燃やす」人たちというのはKKK、「the badge」は警察官のバッジだそうです。国家権力による差別・暴力への怒りの曲なんですね。大義名分のもとに(in the name of)に行われている殺人、殺人は殺人じゃんよ、という。

「name」には「大義名分」という意味もあるんですね。ま、そりゃそうか。で、大義名分の「名」は「名前」のことかと思ってググッてみると、 

名(めい)とは、古代中国において一般的な意味としての「名前」とは別に、名前そのものが有すると考えられていた概念のこと。古代中国では、物が持つ「名」とその実体である「実」の相互関係について様々な説が出された。老子は、実は常に変化して名との関係を変えていくと唱え、荘子は、名は実の飾に過ぎないと説き、墨子は「名を以て実を挙ぐ」と唱え、荀子は「名を制して以て実を指す」と主張した。更に孔子は名と実の関係を正す必要性を唱えて「正名」の考えを提示し...

日常で使う「名前」よりも、ひとつ抽象度が高い「名前のあり方」とか「名前性」みたいな意味なんですね。 

で、どんどん広がってしまいますが、「名は体を表す」っていう言葉があって、これのルーツは「名詮自性」という言葉だそうで、孔子より1000年近く後の中国で書かれた「成唯識論(法相宗が所依するお経)」の中に出てくる言葉。よく「名前が実体をよく表しているね」という意味で使う言葉ですが、本当はもっとややこしい話で、「名」は「体」の見え方と相互に影響し合う、というか、「名」は「体」そのものである、くらいの話で、 ソシュールのシニフィアン・シニフィエなどともつながる、というか、きっと同じようなことを言ってるんだと思います。

さて、まとめる気もなくなってきましたが、最後に、ラーメンズの「名は体を表す」。 







中で出てくるバンコクの正式名称、 
กรุงเทพมหานคร อมรรัตนโกสินทร์ มหินทรายุธยามหาดิลก ภพนพรัตน์ ราชธานีบุรีรมย์ อุดมราชนิเวศน์ มหาสถาน อมรพิมาน อวตารสถิต สักกะทัตติยวิษณุกรรมประสิทธิ์ 

クルンテープマハーナコーン アモーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤーマハーディロック ポップノッパラット ラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェート マハーサターン アモーンピマーン アワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット

イン神(インドラ、帝釈天)がウィッサヌカム神(ヴィシュヌカルマ神)に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、イン神の不滅の宝石のような、偉大な天使の都。


素晴らしい名前ですね。正確にかまずに言える小林賢太郎もすごい。で、「名」は「体」に単に添えられたものじゃなくて、「名」が「体」を作ることもある、その現場をコントで表現するとこうなる、みたいな作品にも見えます。ラーメンズの共感覚の鋭さってすごいですね。

で、何の話かというと、それをなぜそう呼ぶのか、それ以外の呼び方はないのか、そう呼ぶことでどういう影響を与えるのか、ちゃんと意識していきたいと思う、という話でした。「名」は私と世界の関係そのものだと思います。


2012/01/18

マイケル・ジャクソンとの出会い(4度目)

今朝、ふと思うことがあってマイケル・ジャクソンの YouTube を見てたら、鳥肌がたったり目頭が熱くなったりして、なんていうのか、本当に感動してしまいました。もちろんマイケル・ジャクソンの存在はずっと前から知っていたし、曲もビデオも知っているのがいっぱいあったけど、なんで今まで気付かなかったのかな。。。

マイケル・ジャクソンとの最初の出会いは、たぶん小学生の頃のテレビで、「BAD(1987年)」のころ。「かっこいい」と思った記憶はあって、数年後の「Black Or White(1991年)」はレンタルビデオ屋さんでCD借りて聞いた記憶があります。

で、2回目の出会いは高校に入ってからで、Hiphop を聞くようになって、その元ネタとして Jackson 5 の曲に出会った時。大人のマイケルしか知らなかったので、子どもの頃のマイケルを見て「このマイケル・ジャクソンは、あのマイケル・ジャクソン!?」と驚いた記憶があります。で、この頃はまさに中二病まっただ中なので、売れてる時点でかっこ悪い、商業的に成功してるだけで信用できない、くらいに思ってて、マイケル・ジャクソンもそんなに興味がなかったわけですが、「I want you back(1969年)」とか好きで、売れてても良いものは良いんだ、ということを知った曲です。




で、3度目の出会いは、2000年以降のテレビワイドショーで、少年への性的虐待疑惑とか、裁判とか、整形に失敗したとか、赤ちゃんを窓の外に出してブラブラしたとか、そういうところで時々名前を見てた時。「スーパースターは大変なんだなぁ」「変わった人なんだなぁ」と思ったりする程度。

で、最近になって4回目の出会い。ここ数年、僕の知っている面白い人、尊敬する人、素敵な人、こういう人たちがマイケル好きであることが多くて、これは何か僕の気づいていないマイケルの魅力があるに違いないと思うようになってたんです。

一番最近だと、安冨歩先生。ブログのタイトルがもろ「マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)」だったりするのですが、
その死によってはっきりしたと私は考えるが、もしイエススという歴史上に存在したある人物を「救世主」と呼ぶのであれば、マイケルは「救世主気取り」だったのではなく、それは社会的現象としての「救世主」そのものなのである。グラミー賞のビデオに見えるように、彼は Michael, I love you! とファンに呼びかけられると微笑んでしまい、I love you, too!と投げキスを返す。これはファンサービスなどというものではなく、本当にそうしてしまうのである。これは阿弥陀仏が自らの名を呼ぶ者を誰でも救うのと同じ構造を持っている。Michael, I love you! とその名を呼ぶ者をマイケルは、必ず救い上げて、Neverland に迎え入れてくれるのである。そのように信じて、何の問題があろうか。
とまで書かれてたりするんですね。

今日Wikipedia読んでみたら、

尋常性白斑という皮膚病を患っているために皮膚の色が白く変化したにもかかわらず、ワイドショーや情報番組で出演者達に「黒人のマイケルは白人になりたくて肌を漂白した」等、人種差別的な中傷コメントをされ続けたり、少年虐待疑惑に関して無罪判決が出たにもかかわらず、まるで本当は有罪であるかのような印象を視聴者に与えるコメントと偏向的な報道を多くされ続けた。
...マイケルの弁護を担当したトーマス・メゼロウ弁護士も「メディアはマイケルが有罪になることを望んでいた、有罪になり刑務所に入りでもすれば世界的に有名なスターの栄光と堕落ということで映画・TV・書籍などのあらゆる媒体でネタにでき、そうなれば何十億ドルにもなる莫大な収益が見込めたから」という内容の序文を寄せている。

「正しいことを言うマイノリティにひどいレッテルを貼って儲ける仕組み」ここにもあった、というか、こんなのばっかりなんじゃないかという気にもなってきます。。。

「They Don't Care About Us(1996年)」  これとか高校生の頃なのになんで琴線に触れなかったかなぁ。



ミュージック・ビデオは「プリズン・バージョン」と「ブラジル・バージョン」の2バージョンあり、どちらもスパイク・リーが監督することで話題になった。オリジナルであるプリズン・バージョン(監獄バージョン)には、「ロドニー・キング事件」および「ロス暴動」、「天安門事件」の他、戦争・核実験・暴動・集団暴行・虐待・クー・クラックス・クラン等の映像が多数使用されており、「暴力的である」としてMTVは放送を許可しなかった。
日本のテレビで放送されるわけないんですね。。。ニコニコ動画の日本語訳歌詞入りは→ nicovideo.jp/watch/sm104660

知れば知るほど、歌詞などを読めば読むほど、マイケルは、暴力や差別、搾取、貧困と正面から向き合って戦ってきた人で、暇さえあったら慈善活動をしているような人でもあって、あのワイドショーで伝わってくる「変な人」のイメージとは全然違うんですけど、これ何なんだろう。。。メディアの偏向報道に気づかずに「変な人」と思っていたこと、せっかくこんな偉大な人と同時代に生きてたのにそのことを生前に気づけなかったことが悔やまれます。



I'm Starting With The Man In The Mirror
I'm Asking Him To Change His Ways
And No Message Could Have Been Any Clearer
If You Wanna Make The World A Better Place
Take A Look At Yourself, And Then Make A Change

僕は鏡の中の男から始める。
鏡の彼にやり方を変えようと言うんだ。
こんな簡単なメッセージはないよ。
世界をより良い場所にしたいなら、
自分を見つめ、そして変えよう。

「Man in the Mirror(1988年)」グっときます。。。

っていうか、なんでメディアって偏向するんでしょうか。儲かる方へ偏向するとかっていうのは、まぁ気持ちは分かるんですけど(最低だとは思うけど)、日本のメディアがマイケルに「変な人」のレッテルを貼って得するとも思えないんですけど、なんなんだろう。。。

ともかく、今年はマイケルの曲をたくさん聞きたいと思いました。