はじめての質的研究

質的研究の勉強を始めます。

超大雑把に説明してしまうと、質的研究は量的研究と対をなす概念で、「量」は現象を数字で表現できる形にして分析する手法、「質」は生の現象そのものを言葉で分析する手法、です。たぶんそういうことです。で、シロシベが関わることが多い精神保健の領域では、現在はいろんな意味で量的研究がメインストリームです。で、今まで個人的に質的研究に興味を抱きつつも、直接触れる機会がなくて傍観しているだけでしたが、ここにきてインタビューを分析(ってほど大したことはしませんが)する必要にせまられ、いい機会なのでちゃんと勉強することにしました。

で、「はじめての質的研究法」を昨日amazonで買いました。今日届くのですが、届く前にウェブで予習です。Wikipedia のページには、質的研究への批判と反論がまとめられていて、ザバっと引用すると、

質的研究への批判には以下のようなものがある。
  • 解釈し続けるばかりで実用性、応用性、実証性に欠ける。
  • 判断の恣意性、主観性が高く、客観性があるかどうかが疑わしい。
  • 善悪や美醜をめぐる価値判断も扱っている。
  • 中立性を欠く。
  • 再現性が低い。
  • 元になったデータの全容が第三者にはわかりづらい。

質的研究を擁護する立場の主張として、
  • 研究・教育などで一定の貢献を果たしている。
  • 未知で複雑な現象は量では適切に扱えない。
  • 複雑な物事に関する総合的判断を行うためには恣意性とつきあっていかなければならない。
  • 定量的研究にも様々な恣意性がある。
  • 恣意性との付合い方を考えるべきで、恣意性の排除だけが望ましいアプローチではない。
  • 価値判断を徹底して控えることは、研究者が既存の価値観に対して無批判になることと同じ。


どっちの主張もおっしゃる通り!って感じですが、なんだろうか、精神保健の領域などに限っていえば、そもそもが心の健康みたいな雲をつかむような話なので、なんていうか、どっともどっちっていうか、どっちも大事っていう感じはするんです。しかも、心の健康を扱う上では、考えるまでもなく善悪や美醜、幸福みたいな「価値」がすごく大事で、価値を扱わなきゃ意味がない領域でもあるわけで、ちゃんとこの手法を学びたいと思うわけです。

これは、個人として世界を見つめる眼差しのチャンネルを増やすという意味でも、シロシベとして扱える仕事の幅を広げるという意味でも、とても重要なお勉強になりそうな予感です。

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