問うことと分けることと分かることと

090204

当然のように営業中のシロシベです。ただいま自由記述の分類の作業をしています。具体的な内容は割愛しますが、「●●の理由を書いてください。」という設問への回答を分類する作業です。回答は100字程度の短いものなのですが、これが多種多様で分類が難しく、理由っていろんな答え方があるんだなぁ、と思って考え込んでしまいました。

何が難しいって、理由には理由の理由があるんですね。たとえば、「タウンエースを買った理由は?」という問いには、「働く車ということ以外に余計な記号性がないのがクールだから。」「田舎に引っ越したから。」「田舎は車がないと不便なので。」「中古でちょうどいいのがあったから。」とかとか、いろんな答え方があります。全部理由としてはあり得るのですが、そこには、特定の車種を選んだ理由、車を購入した理由、購入の背景にある理由、などなど、いろんな答えの可能性があります。だから、自由記述で理由を問う場合には、どの部分の理由を知りたいのか明示しないと厄介な回答になってしまうなぁ、と思ったりしました。

で、これは、ひいては「開いた質問」全般に言えることです。たとえば「Where」の質問、「東京駅はどこですか?」には、「千代田区です。」「北緯35.681382度、東経139.766084度です。」「この道をまっすぐ行って...。」などなどあり得て、文脈に応じて答え分けないと会話が難しいものになります。Who(誰) What(何) When(いつ) Where(どこ) Why(なぜ)How(どう)、全部そうです。回答者に質問者の意図が分からないと、間違ってはいないけど明らかに間違った回答、ということになってしまいます。

で、開いた問いと閉じた問い、その違いは何かというと、回答者に刻ませるかどうか、です。

「問い」の辞書的な意味は、
わからないことやはっきりしないことを人に聞く。また、相手の考えを知ろうとして、ある事をたずねる。多くの人に判断を求める。質問する。


ということなんですけども、「分からない」とはそもそも「分かれていない状態」で、それを分かつのが「分かる」ということで、「はっきりしない」とは境界線のないことを指す言葉です。分かれていないところに境界線を引いてそのどっち側かを教えて、というのが、開いた問いです。閉じた質問というのは、刻み方を予め指定した質問です。

「東京駅はどこか」でいうと、答える人は、幾通りもある空間的な広がりの刻み方の中で、文脈に応じて刻み方(行政区分なのか緯度経度なのか経路なのか)を選んで、その刻み方の中で、その刻まれたパーツのどれかを示す、ということを行います。「When(いつ)」の場合は、時間的な広がりをどのように刻むかを選んで答えます。Why(なぜ)の場合は、因果関係の広がりの刻み方です。Who(誰)は人間の分類、How(どう)は手段や方法、程度の刻み方を選んで答えます。

なので、開いた質問への回答には、「刻み方(つまり、分け方、分かり方)」と「分けられたパーツのどれか」の2種類の情報が入っているということです。で、質的な分析とかだと、重要なのは「分け方」の方だと思うんですね。世界をどう見ているか、どう理解しているか、分かっているか、という情報を含むのは「分け方」の方です。逆に分け方が共有されているなら量でやったほうが簡単で説得力のある書き方ができそうです。

人との会話で面白いもの「分け方」の方だと思います。自分とは違う分け方を知って、分け方のバリエーションが増えて、世界がもっと細かく分かれる、というのが「分かる」ということで、対話の本質なのかもしれない、と思ったりもします。

というわけで、自由回答の分類を今日中に終わらせないといけないわけですが、なかなか思い通りに進まないもので。。。

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