作務

先輩に借りて読んでます。

日本の寺は、いまや死にかけている。形骸化した葬儀・法事のあり方を改めるだけでなく、さまざまな「苦」を抱えて生きる人々を支える拠点となるべきではないか。「いのち」と向き合って幅広い社会活動や文化行事を重ね、地域の高齢者福祉の場づくりにも努めてきた僧侶が、その実践を語り、コンビニの倍、八万余もある寺の変革を訴える。


という本です。30年以上にわたる著者の実践の数々が自信に満ち溢れた口調で紹介されています。どれも素晴らしくって、とてもご立派で、こう、何と言うか、立派過ぎてちょっとブルーになります。とはいえ、お寺はもっと地域と結びつき、開かれなくてはいけない、公に利するものでなくてはならない、なんてメッセージは共感できますし、学ぶところの多い本です。

この本の主題とは直接関係しませんが、すっと腑に落ちた部分があったのでメモしておきます。

道場では坐禅や托鉢をするだけではない。修行僧たちは掃除・洗濯をはじめとして、自分自身が生きる糧を得るため、農作業なども行っている。このことを作務(さむ)と言う。ここには「一日作(な)さざれば、一日食わらず」、すなわち自主的に働くことによって自らのいのちを支えている、という主張が見える。そして「静」の中で自己を見つめる坐禅と並行して、「動」の中で自己を高める作務の重要性も組み込まれている。作務とは禅宗の大切な修行の一部なのである。

実際、現代の日本のお寺の住職の多くが兼業で、他の仕事をしながらお寺のお仕事をされています。でもこれは、修行として副業を持たれているというより、特に地方の小さなお寺の場合、お寺だけだと生活がまかなえない、という現実的な理由による場合がほとんどです。よく聞くのが、学校の先生だったり、お医者さんだったり、福祉法人を経営したり、といった公益性のある非営利なお仕事です。もちろんそうじゃないといけない決まりがあるわけではなく、暗闇でご飯を出すMBAのお坊さんとか、バーをやってるお坊さんイラストレーターのお坊さんとか、いろいろいらっしゃるわけです。

でまあ、自分のことについても、一応考えてみたりするんです。お寺と営利企業って矛盾しないんだろうか、なんてことを。ま、別に必要以上に儲けることが目的じゃないし、株式会社で社会へ貢献してみせるさ、と言ってはみるものの、本当かなぁ...、という感じもして、すっきりしなかったわけです。で、作務という言葉でピンきました。シロシベは作務です。自己を高めるための会社経営です。うちの実家は禅宗じゃないけどそんな細かいことは置いときます。っていうかほんとに真面目な話、会社を作ってまだ数ヶ月ですが、初めて経験することや知ることがたくさんあって、今までやってきたようなお仕事でも緊張感が全然違ったり、会社を作ったおかげで人とのつながりが生まれたり、なんてことがたくさんあって、とても勉強になったりするわけです。

今後「寺と会社ってどうよ?」って人に聞かれたら、「作務としての会社経営です。」って答えることにします。そして、シロシベのユニフォームは作務衣にします。

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