ですますである

このブログを始めて半年以上たっているが、この間ずっとぬぐいきれない迷いがある。この迷いは、ブログを書きたいと思いつつ数年間ためらってしまった理由の一つでもある。何のことかというと文体である。常体と敬体、「だ・である」調と「です・ます」調の選択についての迷いである。

とここまで常体で書いてみて、すでにとても恥ずかしいわけですが、本当は常体で書きたいんですね。論文とか報告書、定款、そういう堅い文章を常体で書くことに違和感は感じない、というかそもそも自分の言葉ではない感じもするので、別に気にならないんです。でも、ブログを常体で書く、って何だかとても恥ずかしいんです。

メールは敬体で書くことが多いわけですが、これはこれで、家族や友人に書くのに敬体なのもちょっとした違和感を感じます。
「荷物が届きました。たくさんのお野菜ありがとうございます。ご自愛ください。」
というのも違うし、
「荷物が届いた。深く感謝する。自愛せよ。」
とか、
「荷物届いたで。野菜ちょっと腐ってたけどありがとう。体気ぃつけて。」
とか、どう書いても違和感が残ります。っていうか、これはもはや状態と敬体の問題ではないですね。結局、
「荷物届きました。ありがとう。」
などと敬体とも常体ともつかない曖昧な感じでお茶を濁すことになるわけです。

最近、水村美苗の「日本語で読むということ」「日本語で書くということ」を読んでいて、またこの悩みに直面しています。この2冊は、ここ20年の間にいろんな場所でいろんな時に書かれた随筆と批評の文集で、常体の文章と敬体の文章、両方読めるんです。どっちも素敵なんですが、やっぱり常体がいいんです。そもそもニュートラルなのは常体です。一方で、敬体は文字数が増えてしまうし、メールや手紙で使う言葉だからなのか、かえって馴れ馴れしい感じもしてしまいます。親しみやすいとも言いますが。でもでも、本当はブログは常体で書きたいんです。

結局今までのところ、なぜか敬体を選んでしまっていますが、これからちょっと常体で書いてみようと思います。いや、今後しばらくこのブログは常体で書く。

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