視線に対する視線に対する視線

いろいろありまして、今日は「僕にとってのブログ」について書きます。

本題に入る前に、いまこれを新幹線の中で書いているのですが、iPhoneにはGPSが入っていて、カーナビみたいにgoogle map上で現在位置を表示したりできるんですね。地図と車窓を見比べたりしていると、当たり前のことですが、川にも山にも道にも全ての場所に名前がついてることとか、視界には入っていない遠くの方まで町が続いていることとか、いろいろ感動します。ずっと地図と車窓を見ていたい気分ですが、いろいろあるのでブログについて書きます。

ブログを書くことの魅力はたくさんありますが、今日はその中でも、メンタルヘルスに関係しそうな部分について考えます。タイトルは「僕にとってのブログ―視線に対する視線に対する視線」。うふふ。大上段に構えてみました。

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ブログはウェブ上で公開する日記のようなものです。公開を前提とした日記を書くことで、決して大袈裟ではなく、この世界を見つめる視線が大きく変化します。

そもそも日記の内容は十人十色です。その日の天気や気温、行った場所、食べた物などを淡々と客観的に記録し続ける業務日誌のようなものから、赤裸々に心情を書き綴る自分宛てのラブレターのような日記まで様々です。そんな多様な日記の中にある共通点といえば、自分を外から見つめる作業を強いられる点ではないでしょうか。

夕食のメニューを日記に書くだけにしても、何を食べたか思い出して言葉にして記録するためには、数時間前の自分を見直さなければなりません。まして、その夕食の味や、味にまつわる思い出、そこでの会話、そこで感じたことまで書こうとすれば膨大な内省の作業が必要になります。日記を書くためには、自分が見たものをもう一度見直さなくてはなりません。

ここに、別役実の「正しい日記の書き方」という文章があります。

或る日記中毒患者が、生涯の伴侶としてしかるべき女性に遂に巡り会い、思わず顔をほころばせて「これで今日、日記に書くことが出来た」とつぶやいたという話がある。言うまでもなく、それをもれ聞いてしまった当の女性は、彼の「生涯の伴侶」となることを拒絶した。もちろん、そのことが自体が彼の不幸なのではない。その不幸すらも日記の材料とし、不幸と感じとり得ないことが彼の不幸なのである。


笑い話のようではありますが、これこそ日記の本質であるように思えてなりません。日記は、不幸に直面する自分、のほかに、不幸に直面する自分を見つめる自分、という視線をもたらしてくれます。視線に対する視線「メタ視線」です。日記中毒患者のエピソードのように、メタ視線は不幸の緩衝材になってくれます。これはメタ視線の効用であり、日記の効用だと思います。逆に幸福も緩衝されてしまうのではないかという疑問が沸いてきますが、ここでは深入りしません。

さて、ブログです。日記の公開です。ここではさらに不特定多数の他者の視線が入ってきます。そう多くの人が読むわけではないにしても、不特定多数の他者に見られ得る場所に日記を書くとき、その日記が他者にどう思われるかを意識することは必至です。メタ視線に対する他者の視線、です。

そもそも、日記の公開自体は今に始まったことではなく、洋の東西を問わず数百年前から公開されている日記というものが存在します。この中で公開されることを意識して書かれたものがどれほどあるかは確認のしようもありませんが、間違いなく言えることは、公開される日記を書くような人は、特殊な階層に属していたり特殊な体験をしているごく一握りの人たちであったということです。メタ視線に対する他者の視線という、ごく一部の人にしか許されていなかった体験を市井の一般人にもたらしたのがブログだと思います。

僕にとってのブログ、それはメタ視線に対する他者の視線を意識した試行錯誤であり、とてもスリリングな精神の実験です。
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とまあ、勢いよく書いてみましたが、だいぶ恥ずかしいなぁ...。袰岩さま、こんな感じでいかがでしょうか?

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