ピンク

節操もなくいろんなお仕事に手を出しているわけですが、論文、報告書、パンフレットやウェブサイト、伝えたい人の伝えたいものを運ぶ乗り物を作る作業、という点では共通しているように思ったりもします。で、その乗り物の主役は言葉です。言葉について考えさせられることがたくさんあります。

当たり前のことですが、言葉って、情報を伝えるわけですが、出す側と受ける側で違うものになるんですね。それで、誤解がないように丁寧に言葉数を多くして説明すればいいかっていうと、そんなわけでもなくて、解釈が一通りに定まるほどにギチギチに無機質な言葉を足すと、もうそれはそれで伝わらないんですね。

何ていうのか、たぶん、言葉を受けた側の頭の中で「広がる」ことを目指す言葉と「切る」ことを目指す言葉があるんだろうな、って思います。前者は、詩とか俳句とかコピーとか小説がそうだと思うのですが、言葉以前のもやもやした何かの核を直観的につまんで投げて相手の中でもそのもやもやが広がって、そのもやもやをもやもやのまま共有することが動機になってる言葉、みたいな。後者は、論文とか定義とか条文とか議事録とか、もやもやの輪郭を丁寧に切り取って、相手の中でも寸分違わない輪郭が切り取られることを目指す言葉、っていうのか。デジタル画像で例えると、前者がベクター、後者がラスター、みたいな。

たとえば、学会のポスターなんかだと、「大会テーマ」みたいに参加者の頭の中で広がって欲しい言葉と、「いつどこで誰が開催」とかっていういろんな可能性を切り捨てるための言葉、両方を1枚で伝えないといけないわけですが、この2種類の言葉って、形にするとなると、全然違うものなんですね。切り捨てるためには、背景の画像なんて邪魔でしかないし、フォントの種類もサイズも読みやすくて統一されてて、言葉数は多く、色数は少なく、合理的に構造化されてた方がいいと思うんです。一方で、広げたい時には、構造や枠組みは不要だし、色や形や大きさやニュアンスこそが要で、むしろ言葉自体が邪魔になったりさえすると思うんですね。難しいものです。

で、さっき言葉が「乗り物」という言い方をしましたが、ほんといろんなものを背負うもので、これも当たり前のことですが、言葉を出す人、受ける人、その間の関係性によって、一字一句同じ言葉でも、全く違う言葉になるんですね。たとえば、
pink
「ピンクが好き」それが林家ペーの口から出るのと林家木久扇の口から出るとのでは、一言一句同じ言葉でも、同じ林家でも全く違います。そもそも、「ピンク」という言葉が表す色が、その言葉を出す側と受ける側できっと同じではないし、「好き」だって簡単そうに思えてとても難しい言葉です。好きじゃない色の着物を着て数十年舞台に立つことにどのような意味を見出すかなんてそれこそ十人十色です。林家木久扇が何色を好きなのか知らないけど。

でさらに、「ピンクが好き」って言語化して意識できてればまだ分かりやすくて、人間の内側のもやもやしたもののほとんどは、まだ名前がついていなかったり、適切な言葉を知らなかったりで、言葉で外に出せる部分なんてほんのごく一部だと思うんです。

もし仮に林家ペーがピンクを好きで、かつ、ペーが「ピンクが好き」という言葉を知らなったら、それはそれはもやもやすると思うんです。服屋さんではなぜか人と違う服を選んでしまう、そもそも自分が欲しい物があまり売ってない、とっても気に入って買ったのにみんなにニヤニヤされる、服に限らず、何もかも、何だかみんなと違う、満たされない、自分の気持ち動かす物がなんなのか分からない、という違和感だけを持ち続けなくてはなりません。そしてある日、ピンクという言葉を知り、実は今まで自分が惹かれていたものが実はピンクでつながると知ったら、その日を境に世界は一変すると思うんです。

だから、なんていうか、言葉は伝えるだけじゃなくて、世界を広げるし切りとるし繋げるし、世界は言葉でできているとさえ思うわけですが、言葉とその言葉が表す意味内容が1対1で対応するようなものではないし、世界の全てを表現するには言葉は足りないし、言葉は余計なことまで表現してしまうし、まあ、何というか、一生まとまりそうにないので、今日はもうやめます。

いろいろ考えさせられる、という話です。

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