竜馬がゆく、坂の上の雲、三国志、一気に読んだ。
最近、 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」、 吉川英治の「三国志」 を続けて一気に読んだ。それぞれ文庫本だと8巻、8巻、10巻、紙だと読み始めるのを躊躇する長さだ(というか、かさばるので買おうと思わない)けど、Kindleだとそのあたりのハードルが低くて、どれもエンターテイメント性の高い小説なので、それぞれ数日ずっと夢中で読んでいられて楽しかった。一昨年、吉川英治の「宮本武蔵」を読んだ時もおもしろくて数日仕事が手につかなかった気がする。 小説の舞台になってる時代はバラバラ、作者の吉川英治と司馬遼太郎は一世代くらい違うけど、むしろ印象に残るのは、漂ってる雰囲気がそっくりなこと。どれも昭和に新聞連載され大ヒットした小説なので、この共通する雰囲気って、きっと昭和になって創作された部分のことで、僕が楽しんでいるのは、小説の舞台よりもむしろ昭和の雰囲気なのかもしれない。 タイトル 舞台 連載 宮本武蔵 400年前 1935~39年 三国志 1800年前 1939~43年 竜馬がゆく 150年前 1962~66年 坂の上の雲 110年前 1968~72年 で、この共通する雰囲気って何なんだろうか。 激動の時代に生きる男性が主人公で、大きな志を持っててそれを自分の命より大事にする「英雄」がたくさん出てくる。「成り上がり」と「成り下がり」の物語。兵法や軍事が重要なテーマで暴力の描写が多めで、たくさん人が死ぬ。飢えや貧しさの描写も多い。腐敗した官僚組織、なんてのもよく出てくる気がする。みんなよく酒を飲む。色恋の描写は少ない、というか、女性があまり出てこない。 おっさんのおっさんによるおっさんのための小説なんだろうなぁ、と思う。昭和の。 「権力」だったり「軍事力」だったり「剣の強さ」だったり、「力」が目に見える形で物語が展開されるので、とっても分かりやすくておもしろいのだけど、今って、そういう目に見える「力」は、隠されてたりフィルターがかかってたり複雑だったり抑圧されてたりで、なかなか目に見えなくて、誰が誰に支配されてるのか、どこに力があるのか、一見しただけでは全然分からない。昭和って、こういう、おっさんの大好物であるところの、目に見える「力」が、どんどん見えなくなっていった時代なんだろうなぁ、と想像する。 ま、何にしても、昭