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Showing posts from 2016

ドラマ中毒

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ここ1ヶ月、取り憑かれたようにドラマばかり見てた。  Amazonってブラウザで動画も見れるんだぁ、と思ってふと見始めた「 プリズン・ブレイク 」ではまってしまって、シーズン4まで一気に見て、 「 LOST 」っていうのがおもしろいらしい、ということでHULUの無料体験で全シーズン一気に見て、       もう完全にドラマ中毒になって、Netflix のアカウント作って「 The Get Down 」 そして「 NARCOS 」。   ここ十数年、映画やドラマをほとんど見てなくて、こんなにドラマを見たのは18~19歳の時に「太陽にほえろ!」と「北の国から」のビデオをひたすら見てた時以来だ。 それぞれの内容については、すでにいろんな人がいろんなこと書いてるので省略するけど、この4つの中では「NARCOS」が一番好きだったなぁ。「The Get Down」はヒップホップ好きにはたまらない。「Prison Break」と「LOST」は、最初はいいんだけど、後半は無理やり引き延ばした感じがしてちょっと疲れる(のだけど見るの止められない...)。 上のドラマ、全部でたぶん200時間くらいあって、それを1ヶ月で見てしまったのだけど、1日あたり...、怖くて割り算できない。睡眠時間を削りまくって、仕事もできるだけ後回しにして、腰を痛めて(ずっと同じ姿勢で座ってるから)、こんなことしてちゃダメだとは思いつつ、「次を見る」をクリックするだけで続きが始まってしまうのでついつい...。 もうドラマ見るのやめよ...。やめられるかな...。無料体験期間はいいとしようか...。

携帯電話を新しくした

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極楽湯の駐車場でスマホを落として画面を割ってしまったので新調した。  ちょうど Google の「Pixel」が発売されるらしいというので発売を待ってたのだけど、日本が一次発売国に入ってなかったのであきらめて1年前の「Nexus 5X」にした。これで何代目になるんだろうか。1998年に1代目、2001年に2代目...、だったような気がして、そして、2003年の3代目以降は、 2003年 Sony Ericsson A1101S(白)  2005年 Sony Ericsson A1404S(黒)  2007年 Sony Ericsson W51S(黒)  2009年 iPhone 3GS(黒)  2011年 iPhone 4(白)  2014年 Nexus 5(黒)  2016年 Nexus 5X(白) 懐かしい。どれにもそれぞれ思い出がある。今回の端末にはどんなエピソードがくっつくのだろうか。そういえば、今年、 ダイエットの波が2年周期でやってくることに気づいた のだけど、携帯電話もほぼ2年リズムだ(2年縛り契約のせいだけど)。 2005年。 2011年。 2014年。 2016年。 毎回撮ってるつもりだっだけど、抜け抜けだ。 2009年の iPhone 3GS、一番ワクワクした端末なのに、入れ忘れてた...。悔しいな...。

「させていただく」について

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先日、メールに「○○させていただきます。」と書こうとして、ふと、違和感を感じた。この言い回し、話し言葉でよく使っているけど、書き言葉ではあまり見ないような気がする。これは間違ってるのかな、方言なのかな、と思ってググってみたらNHKのサイトに「 視点・論点「させていただきます症候群」 」というページがあった。 「させていただきます」は、明治の文学作品にも確認される言葉です。しかし、現在、この「させていただきます」については、批判的な意見もあります。紋切型だ、慇懃無礼だ、卑屈だ、許可した覚えはない、などです。さらに、使いすぎる人を「させていただきます症候群」と呼ぶ人もいます。「させていただます」のどこが批判されているのでしょうか。 というわけで、5つの類型に分けてその違和感が説明されている。要約すると、 すっきり話そうよ 「させていただく」は「いたします」で代用可能。   誰を立てているの? 「させていただく」は「させてくれる人」を立てる敬語なので、「課長をさせていただいています」と言ってしまうと社外の人に対して身内の上司を立ててしまう。  だれに許可をもらったの? 「させていただく」は、だれかの許可を得て行動していることを示唆する言い回しだけど、誰に許可をもらっているのか不明。「努力させていただきました」って、自分で勝手に努力してるんじゃないか。    自分勝手すぎるよ 相手に迷惑をかける行為と「させていただきます」という言葉は合わない。「突然ですが、今日でバイトを辞めさせていただきます」は、一見したところ丁寧な言い回しに見えて、一方的に通告している。    「さ」はいらないよ 「休まさせていただきます」は「休ませていただきます」でよくて、不要な「さ」が入った「さ入れ言葉」とも呼ばれている。 うんうん、確かにそうかも~、とやや腑に落ちないまま納得してしまって、そのメールでは「させていただく」を使うのをやめたのだけど、後日、 司馬遼太郎の「街道をゆく 24 近江散歩、奈良散歩」 を読んでいたら「させていただく」に関する一説があった。 近江を語る場合、 「近江門徒」  という精神的な土壌をはずして論ずることはできない。門徒寺の数も多く、どの村も、真宗寺院特有の大屋根を聖堂のようにかこんで、家々の配置をきめている。この地では、むかしから

外注について

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「ウェブサイトの企画、デザイン、コンテンツ制作、検証、すべてワンストップで丸投げ(全部まとめて請け負いますよ)!」という広告を見かけた。コンテンツを作るところまで外注してしまったら何が残るのだろうか、と考えこんでしまった。 ウェブサイトを家にたとえれば、土地の取得から設計、施工、庭の手入れも、子育ても介護も近所付き合いもホームパーティも、全部丸ごと請け負います、みたいなものじゃないのか。それは誰の家だ。 で。外注(アウトソーシング)って、僕の会社でもしたりされたり、わりと重要なテーマなので、ちょっと考えてみたい。 たとえば掃除って外注されがちな仕事で、大きな建物とか組織では専門の業者さんが入ってることが多くて、個人のお家でも外注してる人がいたりするし、ルンバみたいなロボットを導入してる人もいる。そういうのって、つい「もったいない」と思ってしまう。掃除に高いお金を払うこととか高価なロボットを買うことがもったいないのではなくて(それもあるけど)、掃除の気持ち良さを捨ててしまってることがもったいない。 掃除の気持ち良さって、掃除直後のきれいな片付いた状態で時間を過ごす気持ち良さもあるけど、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、掃除そのものの気持ち良さがあって、たとえば雑巾がけだと、自分の手が通った前と後で床がきれいに変化するわけだけど、これって、大げさな言い方をすれば、自分の手が世界を美しくする経験なわけで、こんなに簡単に確実に自分の手が世界を美しくできることって、そうそうない。きれいな物を作るのって手間暇のかかる大変な作業だけど、雑巾がけはとても簡単で確実だ。これを他人やロボットにやらせるなんてもったいない。というか、そもそも、掃除なんてしなくても、ちょっとやそっと汚れてても死ぬわけでもなし、面倒なら放っておけばいいのに。 掃除みたいな下らないことしてる暇があったらその時間を他のことに使う、ってことなんだろうけど、まぁ、きっとみんな立派な時間の使い方をしてるのだろう。それなら仕方ない。 外注といえば「餅は餅屋」っていう言葉を思い出す。確かに、専門家に外注するほうが速くて安くて高品質で効率的なのだけど、年末の餅つき大会を前にして、「スーパーで買えばよくない?」「てか、餅いらなくない?太るし。」って言ってしまうと、きっと悲しい顔をする人が出てくる

37

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37歳だ。ここ数年、誕生日に 生命表 を見るのが恒例になっていて、今年も見てみた。 日本の37歳の男性の平均余命は44.69年で、38歳までに0.08%が死ぬそうだ。45年は予定を立てるには長すぎるし、0.1%弱は気にするには小さすぎるので、結局「へぇ」と思うだけで終わるのだけど。 とりあえず、コツコツまじめに生きてるといいんだろうなぁ、と思う。

深い河とヒンドゥー

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ほとんど毎日琵琶湖で沐浴してふやけっぱなしだ。 さて、 インドで見かけたオレンジ色の服を来てガンジス川に「お水取り」に行く人たちのお祭りの名前 を後日ガイドさんがLINEで教えてくれた。「そのまつりのなまえは shivratri というまつりです。」とのこと。 シヴァラートリー でした。とても大規模に見えたので、てっきり年に一度あるいは数年に一度のお祭りだろうと思い込んでいて、Wikipediaを見ても、どうも違うなぁ...、と思ってたのだけど、月に一度のシヴァラートリーだったそうだ。あれが毎月行われているなんて...。ヒンドゥー、すごい。 で、インドの旅のお供にと思って遠藤周作の「深い河」と森本達雄の「ヒンドゥー教 ― インドの聖と俗」をKindleに入れていったのだけど、結局全然読まずに帰ってきてしまったので帰国後に読んだ。 「深い河」は、1993年に発表された小説で、インディラ・ガンディーが暗殺された1984年10月~11月にかけて実施された日本からのインドツアーが舞台。小説中のツアーの内容が、デリー、ヴァラナシ、アグラで、今回の旅行で辿ったコースと全く同じ、とっても面白く読めた。  5人の主人公のあらましがWikipediaに書かれてるのだけど、それをさらに大雑把にまとめると、  磯辺 妻を癌で亡くし空虚感の中で暮らす初老の男性。妻が臨終の間際うわ言で言い残した「自分は必ず輪廻転生し、この世界のどこかに生まれ変わる、必ず自分を見つけてほしい」という言葉が、下らないと思いつつも気になって仕方ない。そんな折、日本人の生まれ変わりと自称する少女がヴァラナシ近くの村にいると聞き、いろいろと思うところがあってインドツアーに参加する。 美津子 上智大学卒の30代の美人。磯辺の妻の死ぬ間際をボランティアで介護していた。多くの恋愛や結婚、離婚などを経験しているけども、本当に他人を愛したことがなく、キリスト教の愛の教えにもなじめない。大学の同級生の大津がヴァラナシの修道院にいるという噂を聞いて、いろいろと思うところがあってインドツアーに参加する。 沼田 動物を心を通わせる童話作家。結核で生死の境をさまよった経験があり、その入院中に死なせてしまった九官鳥が自分の身代わりになってくれたと考えるようになり、いろいろと思うところがあってインドツア

インドに行ってきた

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インドに行ってきた。 インドといえば仏教のルーツ。お釈迦さんを生んだ国としてのインドが最初の接点だと思う。子供の頃、お寺の本堂の壁にかけてあった涅槃図の気色悪さは今でもよく覚えてて、生まれて最初に触れた異国情緒はインドだったかもしれない。 次は高校の数学の先生の話に出てきた ラマヌジャン かな。ゼロの発見とか、十進法とか、アラビア数字の起源とか、インドの数学はすごいっていう話が印象に残ってる。 で、次は、 藤原新也の「メメント・モリ」 、 鬼海弘雄の「INDIA」 に感動してガンジス川に憧れる。 で、最近だと、GoogleのCEOのピチャイとか、MicrosoftのCEOのナデラとか、ペプシのCEO、ドイツ銀行の元Co-CEO、NokiaのCEO、シティグループのCEO、マスターカードのCEO、Standard & Poor's のCEO...、名だたる企業のCEOがインド出身者で話題になってる。ソフトバンクの孫正義の後継者として名前が挙がってたアローラもインド出身。 僧侶としても、理系出身としても、写真好きとしても、CEOとしても、インドが気になって仕方ない。というわけで、インドに家族旅行に行ってきた。3日間でデリー、ヴァラナシ、アグラを駆け足で。 本当はバックパッカーみたいな感じで安宿に泊まる旅がインドを満喫できるんだろうけど、子連れなので日本の旅行代理店経由で頼んだ現地ガイドさん付き、 ホテルはきれいなところで、移動もほとんど貸し切りの車、という大名旅行みたいな3日間のツアーだった。 うわさの野良牛。ほんとにいたるところにいて、他にも、山羊、豚、猿、犬、リス、人間、見事に混ざり合ってて、ごく自然に一緒に生きてる感じが素敵だった。こんな感じだと臭そうなものだけど、確かに臭いんだと思うけど、どこでもお香を焚いてて、香辛料、排気ガス、砂埃、汗、川、全部の匂いが強烈なので牛の匂いなんてまるで感じない。ピンクの首巻きをしたおじさんおしゃれだ。 道路も印象的だった。自動車、バイク、リキシャー(人力車)、オートリキシャー(PIAGGIOのApeみたいなやつ)、自転車、歩行者、牛、みんなグチャグチャで、舗装もグチャグチャで、みんな呼吸するようにずっとクラクションを鳴らしてて、車間距離ほぼゼロ、10センチ隙間開いたら割り込

放題

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今日から日本でも Kindle Unlimited サービス開始で月額980円で12万冊読み放題になって、計算するまでもなく元は取れるので早速登録してしまった。去年から Apple Music を使い始めて、これで聴き放題の読み放題。音楽聴きながら本を読んでればとりあえず幸せなので、月額1960円で幸せ放題なのだけど、どうしよう...。 子供の頃に「本やCDを我慢せずに買いたいだけ買えるようになったらどんなに幸せだろう」と思ってたような気がするけど、月額2000円弱で実現できる時代がこんなにすぐに来るだなんて。 Kindle に入ってない読みたい本とか Apple Music に入ってない聴きたい曲とか時々あるにはあるけど、問題は足りないことよりも足り過ぎてることで、数十万冊とか数百万曲とかって1000歳まで生きても触れきれない。 だいたいがそうだ。 食べ放題というのがあるけど、食べれる量には限界があるし、カロリーやプリン体が気になるお年頃なので自分でリミットをかけてしまう。飲み放題も。そんなに酔っても失言したり失敗したり失禁したり記憶を喪失したり失うものの方が圧倒的に多くて、限界は体の方にある。 服もそう。買うお金がないとか、売ってないとか、そういうところが足りないのではなくて、むしろ足りないのは着る機会や着る体の数だ。 PCの性能とか回線速度も。昔はPCが計算してる時間とかダウンロードを待ったりする時間とかもあって、そういう制約が作業速度のボトルネックになってたこともあるけど、今はそんなことはまるでなくて、ボトルネックになるのはいつも自分のモチベーションの方だ。 車も。200 km/h のスピードが出る車でも、法律の制限速度があるし、それがなかったとしても、そもそもそんなに急いで行きたい場所の方がないし、スーパー銭湯にスーパーカーで行っても仕方ないし。 放題。なんて幸せなんだろう、と思う反面、お腹いっぱいで死にそう。

入浴の方法について

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完璧な入浴などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。 というわけで、生きるのって大変なので、楽に生きる方法を考えているのだけど、それはとても難しい課題なので、スモールステップで考えてみようということで、とりあえずお風呂の時間をより良いものにしてみたい。 「入浴とは、主に人が身体の清潔を保つことを目的として、湯や水・水蒸気などに身体を浸すことを指す。」が一般的な入浴だけど、ここでの入浴はちょっと違う。いやだいぶ違う。目的は体の清潔じゃなくて梵我一如の境地で、宇宙と一体になる技法としての入浴の話だ。って何を言っているのかよく分からないので、具体的な方法を見ていきます。 まず、浴槽にお湯をためる。ガツンとキメたい場合は温度は高め、そうでもない場合はぬるめ、要は何でもいいのだけど、お湯をためて体を浸したい。 次は、匂い。お香を焚くのがおすすめ。入浴剤とかバス・フレグランスとか専用のものがいろいろあってそれもいいのだけど、匂いってすぐに鼻が慣れてしまって、お湯全体から匂いが出ていると単調でつまらないので、お香を炊いて、匂いの濃淡から空気の揺らぎが感じられるのがいいように思う。あと、やっぱ、火の匂い、焦げる匂い、っていうのは、心の深いところを気持良くさせるように感じる。 で、照明。暗いのがいい。照明を全部落として、給湯器の操作パネルの液晶の光だけ、みたいな感じもいいけど、ここはやっぱりろうそくを持ち込みたい。もっと贅沢をいうと、石油パラフィンで作ったろうそくよりも、和紙+木蝋で作った和ろうそくのほうが、炎のゆらぎがきれい。もっともっと贅沢いうと、半露天で月明かりだけ、とか、焚き火・篝火の明かりもロマンチックで良さそうだけど、フィージビリティとの相談になってくる。というか、月明かりの下で風呂に入る、なんてことは大昔でもできてただろうに、なんで現代ではこんなに難しいんだ。 でまぁ、このあたりまではただの快適な入浴方法で、健康や美容に良さそうなゆるふわモテお風呂なのだけど、そんなことはどうでもよくて、というか、健康とか美容とかモテとかがどうでもよくなるような境地に至ることこそが目的なので、もうちょっと続きます。 次は音。音楽がいい。どんな曲がいいか。どうも重要なのはリズムであって旋律や歌詞ではないように思う。むしろ、歌詞が聞き取れ

インドの休日

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思うところあってインドに行こうと思って、インドに行くにはビザがいるということで、大阪にあるインド領事館ビザセンターに書類を作って持って行ったのだけど、書類に不備・不足があって出なおすことになった。この修正の内容についてもいろいろ思うところはあるのだけど、まぁ、それはいいとして、2回目に行ったのが7月6日。クソ暑いなか大阪までわざわざ行ったのにビザセンターのドアは閉まってて「インドの祝日のため閉館します」という貼り紙がしてあった。うそーん...。 インドの祝日が閉館というのは知ってて、一応事前にググッて行ったのに、 そのページには7月7日って書いてあった し...。ググッてオーガニック検索の一番上に出てくるページだったら正しいだろう、なんてのが甘かった。ちゃんと2番目以降のページには7月6日って書いてあった。 だいたい7月6日ってなんなんだよ、と思って調べてみたら、「ラマダーン・イード(イスラム教断食明け祭)」だった。おお。 断食には理解があるので、まぁ、それは分かるぜ、きっとカレー食べるんだよね 、と思ったのだけど、Wikipediaには今年は7月5日って書いてあるじゃん。「ラマダーン月の開始と終了は、長老らによる新月の確認によって行われる。雲などで新月が確認できなかった場合は1日ずれる」ってこと?なので、厳密には決まらないので、ちょっと余裕を持って6日にしてある?じゃあ7日ってなんなんだよ。州によって違う?ただのタイプミス?まぁ、よく分からないけど、今年の7月6日のインド領事館はお休みだった。ったく。  で、イスラム教の行事が国民の祝日になるんだなぁ、と思って、他の祝日を見てみたら、ヒンドゥー教の水掛け祭、ラーム誕生祭、クリシュナ生誕日、ダシャハラー、ディワリ、イスラム教のイード・ウル・ズハー、ムハラム、モハメッド生誕日、キリスト教の受難日とクリスマス、ジャイナ教のマハーヴィーラ生誕日、仏教のブッダ生誕日、シク教のグル・ナーナク生誕日、あとは独立記念日とかもあるけど、ほとんど宗教行事だ。いろんな宗教の人がいるので宗教行事は外そう、じゃなくて、いろいろ入れておこう、なんだろうか。 ところで、 日本の祝日って何なんだ、って思って見てみると 、天皇制関連の日が多い。 明治の頃は100%が宮中行事 で、戦後GHQが国家神道色を脱色した、みたいな感じな

竜馬がゆく、坂の上の雲、三国志、一気に読んだ。

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  最近、 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」、 吉川英治の「三国志」 を続けて一気に読んだ。それぞれ文庫本だと8巻、8巻、10巻、紙だと読み始めるのを躊躇する長さだ(というか、かさばるので買おうと思わない)けど、Kindleだとそのあたりのハードルが低くて、どれもエンターテイメント性の高い小説なので、それぞれ数日ずっと夢中で読んでいられて楽しかった。一昨年、吉川英治の「宮本武蔵」を読んだ時もおもしろくて数日仕事が手につかなかった気がする。  小説の舞台になってる時代はバラバラ、作者の吉川英治と司馬遼太郎は一世代くらい違うけど、むしろ印象に残るのは、漂ってる雰囲気がそっくりなこと。どれも昭和に新聞連載され大ヒットした小説なので、この共通する雰囲気って、きっと昭和になって創作された部分のことで、僕が楽しんでいるのは、小説の舞台よりもむしろ昭和の雰囲気なのかもしれない。 タイトル 舞台 連載 宮本武蔵 400年前 1935~39年 三国志 1800年前 1939~43年 竜馬がゆく 150年前 1962~66年 坂の上の雲 110年前 1968~72年 で、この共通する雰囲気って何なんだろうか。 激動の時代に生きる男性が主人公で、大きな志を持っててそれを自分の命より大事にする「英雄」がたくさん出てくる。「成り上がり」と「成り下がり」の物語。兵法や軍事が重要なテーマで暴力の描写が多めで、たくさん人が死ぬ。飢えや貧しさの描写も多い。腐敗した官僚組織、なんてのもよく出てくる気がする。みんなよく酒を飲む。色恋の描写は少ない、というか、女性があまり出てこない。 おっさんのおっさんによるおっさんのための小説なんだろうなぁ、と思う。昭和の。 「権力」だったり「軍事力」だったり「剣の強さ」だったり、「力」が目に見える形で物語が展開されるので、とっても分かりやすくておもしろいのだけど、今って、そういう目に見える「力」は、隠されてたりフィルターがかかってたり複雑だったり抑圧されてたりで、なかなか目に見えなくて、誰が誰に支配されてるのか、どこに力があるのか、一見しただけでは全然分からない。昭和って、こういう、おっさんの大好物であるところの、目に見える「力」が、どんどん見えなくなっていった時代なんだろうなぁ、と想像する。 ま、何にしても、昭

まっくろけ

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今月はダイエット&断捨離の波がきてる。 ダイエットについては、過去の記録を見てるとどうやら2010、2012、2014、2016と、偶数年に波がくるらしい。74kgくらいになって鏡や写真を見て「これはまずい」と思って一念発起、2~3ヶ月かけて66kgくらいまで落とすと「やせたねぇ」と言われるようになり、そこで油断してダイエットをやめて、2年かけて元に戻る、というリズムがあるらしい。そして、このところ 奇数年には身辺に比較的大きな変化が起こる らしく、これは2014&2015年にも当てはまる。2年周期というリズムは身近に思い当たらないけど、ググってみると「 成層圏準2年周期振動 」というのがあった。個人的な2年リズムが赤道上空の風向きの影響を受けているのだとしたらなんだか素敵だ。 さておき、断捨離。普段から捨てまくっているのでもはや簡単に捨てられるようなものが残っていないのだけど、古びてるもの、壊れかけてるもの、汚くなってるもの、はいろいろあって、これらのリニューアルが中心だ。 Logicool K750r 光で充電してくれるワイヤレスキーボード。すごくいい。 CANON S120 4代目のコンパクトデジカメだ。なんだかこのところ写真を撮る楽しさをすっかり忘れてしまってたのだけど、これを機にまた楽しくなるといいなぁ...。 CHACOLI 04 ネットで見つけたトートバッグブランドのCHACOLI、どストライク ☞ http://chacoli.jp Supreme Knit Polo 最近、何もかもネットで買うようになってるなぁ...。あとはタバコくらいだな。 あと、クレジットカードも新しくした。今まで個人用に使ってたカードは大学入った頃に作ったもので、裏面に顔写真がプリントされてるのだけど、それがずっと18歳当時の顔写真のままで、別にいいんだけど、「誰だよ、これ...」とお店の人に訝しまれるくらいになってきたので、新しくした。 で、何が言いたいとかというと、全部黒い。真っ黒だ。 うすうす気づいてたけど、どうも黒がかなり好きみたいだ。というか、積極的に黒が好きというよりは、他の色がよく分からないのでそれを避けると黒白の2択になって、汚れが目立たない黒と選ぶ、ということをしてるうちに全部

96時間断食

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久しぶりに断食がしたくなって 前回の断食のブログ を見てみると、ちょうどゴールデンウィークの終わりにスタートしてて、今回と全く同じ時季だった。この季節には断食したくなるのだろうか。ともかく、今回は24時間延長して、96時間の断食をやってみることにした。 5月5日はご近所の子どもたちとバス旅行で、朝から夜まで飲み続けて食べ続けてしまったのだけど、その暴飲暴食が終わった5日の19時スタートで、9日の19時までの96時間。 というわけで、5月6日。前日早寝したこともあり4時起床で、お寺の朝のお勤めも、ためてしまってたシロシベ仕事も、全くストレスなく、というか、いつもより調子よくサクサクできた。前回の断食では初日が一番つらかったように思うけど、今回は「これを越すと気持ちよくなる」ということを知っているので、不安がないのがいい感じ。  5月7日は、もうすでにお腹が空っぽな感じで、「焼けカス」みたいな便しか出ないようになって、鏡で自分の姿を見るだけで体重減少が実感できるようになってくる。午後は山道を約7キロ走ったり歩いたり。空腹で山道を歩いていると、大昔の狩猟採集生活をしてた人たちの気持ちを想像してしまうのだけど、山の中に食べられそうものなんて何もなく(実際はそんなことはないんだろうけど)、どうやって生き残るのかまるで想像ができなくて驚く。 5月8日、午後から「お腹がすいて力が出ないよぉ...」という状態。とはいえ、力を出す必要のある場面も全くないので、屋根の上で日光浴しながら読書したりして過ごす。72時間経過時点で3.2kg体重が減ってる。あと24時間。ここから未体験ゾーンだ。夜にお寺の役員会があったのだけど、降誕会法要の打ち合わせで仕出し料理屋さんの名前が出てきただけでお腹が「グゥ」と鳴る。普段はやや食傷気味なお弁当がこんなに恋しくなるとは。 5月9日、雨だ。お腹がすいて寝れない、なんてことは全くなくて熟睡。朝もすっきり目覚める。だけど明らかにエネルギー不足で朝のお参りとか出かけるがやや億劫、頭を使う作業も「後でいっか...。」となってしまう。とはいえ、楽勝。食べなくても全然大丈夫なんじゃん、なんで今まであんなに食べてたんだろう...という気がしてくる。 で、断食明けに何が食べたいか考えた結果、今回は「ご飯+豚汁」

時計デビュー

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欲しい物がないない言い続けて幾年月。にわかに時計が欲しくなって買ってしまった。「にわかに」とは言いつつ半年以上迷っていたのだけど、経緯を書いておきたい。 1年ほど前に壊れた壁時計を買い換えて、初めて電波時計をいうものを間近に見て感動したのがことの発端だ。電波時計の存在自体は昔から知っていたし、意識してみればすでに家にもいくつかあったりして、だいたいいつもスマホの時計見てるわけなので、今更驚くようなことは何もないようにも思うのだけど、なんだか妙に感動してしまった。 何がそんなに感動的なのか。人目につく場所の壁にかけられてペースを乱さずに静かに時を刻み続ける、という存在のあり方なんだろうと思う。 不特定多数の人目にさらされる場所というのは、好奇の目にも批判にもさらされるとてもストレスフルな環境だ。壁に吊るされ取り繕うことも許されず、なんならシースルーバックのスケルトンの時計なんて中身まで丸裸で人目にさらさている。相手によって顔を使い分ける姑息さが情けなくなる。 そんな場所で、年に数秒のずれでも感謝も賞賛もされず、一方で数分ずれるだけで役立たずと罵倒されるシビアな仕事をしているというのはかなりすごいことだ。納期に数日遅れて開き直る、今日はやる気が出ないと仕事ほったらかしでYouTubeを見始める、褒められなかったらがっかりする、我が身を省みて恥ずかしい。 時計に求められる静音性も半端ない。秒針の動く音なんて、最小音量のテレビの音より静かだろうけど、寝れない、集中が妨げられる、散々な言われようだ。夜間秒針停止機能なんていうのもあるらしい。時計としての機能は維持しつつ、さらに静かに、自らの存在を消して仕事をする健気さ。ドヤ顔で自分の仕事をFacebookでシェアしていいね!待ちする下品さよ。 淡々とした仕事ではあるものの内に引きこもるでもなく外とのコミュニケーションを通して修正するところもクールだ。福島県の大鷹鳥谷山と福岡県と佐賀県の境にある羽金山から発信される電波を受けているらしいけど、目に見えない大きなものに従って動くという生き方はかっこいい。僕なら目の前の人の顔色を伺いながら多少のサービスをしたり誤魔化したりしそうだ。 ただひたすらにリズムを刻み続ける、という仕事内容もかなりタイトだし、燃費の良さもすごい。単三電池一本で...、などと言

ねんどまつ

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かなり久しぶりの更新だ。 昨年の秋に住職(父)が心臓の手術で入院して、それにともなって、お寺業務がどんと増えて、しかも今年はシロシベの仕事も多く、秋から年末年始、そして年度末にかけて今年は忙しかった...。父の手術は無事に成功して最近はお勤めにも出られるようになって、シロシベの仕事も年度末繁忙期のゴールがやっと見えてきて、久しぶりにゆったりした気分だ。 逮夜参りのこと、シロシベの仕事のこと、読書のこと、来客のこと、その他いろいろ書いておきたいことがあったような気もするけれど、もうなんだかよく思い出せない。 今日は、お寺の日曜学校の「六年生を送る会」だった。とってもいいお天気で、境内で子供たちが「警泥」してるのを眺めつつ、日向の本堂の縁側でうたた寝してしまって、顔がヒリヒリする。気が遠くなるくらいにのどかで気が抜ける。問題を見つけようとすればいくらでも見つかるわけだけど、どれもこれもほんとくだらない些細なことに思えてしまう。 ふうむ...。ま、実際にくだらないのかもしれない。とりあえずダイエットしよう。