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Showing posts from 2009

2009

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今年の総括をしようと思っていたのに、もうあと20分くらいしか残ってない...。 2009年は本当にいろんなことがありました。いろんなことが始まりました。今までで一番濃い1年です。2010年、もっと濃くします。 1年間ありがとうございました。そして来年もよろしくお願いいたします。皆さまにとって2010年が良い年になることを心より願っています。

Japanese design principles

年末年始のお休みの季節ですね。とはいえ、テレビを見ない、新聞や雑誌も読まない、時々東京に行く以外は近所の山とかサウナくらいしか外出しない、みたいな生活なので、あまり実感が湧いてきません。メールとか電話でほのかにお休みモードの雰囲気が伝わってくるだけです。 Swissmiss で日本のデザイン哲学が紹介されてました 。今までなら、「へぇ」って感じでスルーする記事ですが、言葉で自覚することの大切さについて考えている最中のインチキデザイナーなので、ちゃんと読んでブログに書いてみることにしました。 禅の美学は、仏教の諸行無常の思想に由来する。 不均整 (imbalanced) 自然には完全な対称などなく、完全であることは否定され、非対称、不規則、不均一、アンバランスが用いられる。 簡素 (simple) 装飾は排除され質素。きちんとしてて、率直で、ややこしくない。 ココウ? (austere) ベーシックで(basic)、風雨にさらされた(weathered)、裸の(bear)、年月を経た(aged)、感覚的でない(unsensuous)、厳格(sternness)、禁止(forbiddance)、成熟(maturity)、重厚(weight)。 自然 (natural) 生(なま)で、自然で、はからいのない創造性。本当の naturalness は naive であることや accidentalであることとは違う。 幽玄 (subtle profound) ほのめかし、隠された意味を明らかにしない。カジュアルな目には見えない、露骨でない。 脱俗 (unworldly) 従来の慣習や制度にとらわれない。法や規則からの自由な創造。 静寂 (calm) 静かで落ち着いた幸福な孤独。こころにも体にも環境にも混乱や雑音がないこと。 日本語を英語にしたものだろうから簡単に訳せるかと思ったら、意外と全然分かんない...。で、まあ、感想を。 「日本の美学=禅の美学」なんですね。縄文土器とか、装飾たっぷりのお寺とか、禅っぽさのない美学も他にいろいろあるとは思いますが、ま、そういう風に見られてるんですね。で、不均整で質素とかっていうのはよく聞きます。で、次の「ココウ(KOKOU)」ですが、これは何でしょう...。「孤高」くらいしか思いつかないけど、ちょっと違いますよね

向地蔵と佐野草

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年の瀬は一年の中で一番好きな時期、「良いお年を」は一番好きな挨拶です。物心ついた時からそうだったように思います。 なんていうか、終わる感じ、水に流す感じ、いろんな煩わしいことが一旦閉じる感じ、そういうのが好きでした。逆に新年が一番嫌いで、お正月の漫才番組を見ながら「ああ、また一年が始まる...。早く終わんないかなぁ。」という気分になっていることが多かったように思います。 今年はちょっと違う感じです。理由はよくわかりません。次の年はもっと行ける、次の年こそが勝負、次こそが本番、大げさですが、珍しくそんな気持ちになっていたりします。 でまあ、全然関係ないですが、向地蔵と佐野草の話です。 このあたりは地蔵がたくさんあります。注意して見るわけでもなくその多さに気づくほどです。先日、この地蔵についてお年寄りたちが話していました。 「あそこ道が通るとええねんけどな、お地蔵さんがあるやろ。どかすいうわけにはいかへんさいかいになぁ。」 「ほやなぁ。ほんで、あれはどこの地蔵さんと向き合うてはんの?」 「あれは、あそこや。○○の○○ちゃんとこの。」 「ちゃうちゃう、あの○○ちゃんとこのは、××さんとこの前の...」 とまあ、あっけにとられて聞いていたわけですが、要するに、このあたりのお地蔵さんは全てペアになっていて、向きあっている相手がいるんだそうです。向地蔵(むきじぞう)って言うそうですが、ググってもわかりません。話を聞いている感じだと、ペアの間の距離は、数百メートルから数キロメートルあって、目で見て分かる距離ではありません。話しっぷりから察するに、お年寄りたちの頭の中には地蔵マップができていて、たぶん、数十ペア以上のお地蔵さんの対応関係が入っているようです。 その事実関係や歴史的背景、さっぱり分かりませんが、このような情報が口承で伝わっていて、今も共有されているという事実に驚きました。僕は高校生のときまでここに住んでいたわけですが、初めて聞いた話です。 でまた、今日1つ驚きました。佐野草(さのぐさ)だそうです。これもお年寄りの間でそう呼ばれている草で、佐野にしか生えない草、だそうです。佐野というのは、周囲をグルッと回っても数キロメートルしかない小さな地域です。隣接する町とは陸続きで、川や山で隔てられているわけではありません。普通に考えると、佐野にしか生えないな

冬至の宣言

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先日、飯沢耕太郎さんの講演会で「写真と言葉」についてのお話を聞きました。触発されて、これから 写真ブログ で、写真に一言ずつ言葉を添えることにします。詩です。いやまじで。 本当は、人前で歌うことも、漫画を描くことも、映画を作ることも、すべての表現行為は恥ずかしものだと思うんです。 一番クールな立場というのは、何も発信しないことなんですね。何も発信しないで斜に構えて、ポケットに手に突っ込んで佇んで文句を時々言うのがもっともラクなんですよ(笑)。 でもそれじゃ文化は始まらないから、恥ずかしいことだけどやるんです。 浦沢直樹 恥ずかしいことだけど、詩を書くんです。

合格

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先月通っていた研修、今日試験の結果が届きました。研修内容のあまりの分からなさ、試験の手ごたえのなさ、何個か落としててもおかしくない出来だったのですが、まあ、よかった。のかなぁ...。で、これで、泊まり込みの研修に参加する資格を得たことになります。いいのかなぁ。何だろう、この釈然としない感じ。

ピンク

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節操もなくいろんなお仕事に手を出しているわけですが、論文、報告書、パンフレットやウェブサイト、伝えたい人の伝えたいものを運ぶ乗り物を作る作業、という点では共通しているように思ったりもします。で、その乗り物の主役は言葉です。言葉について考えさせられることがたくさんあります。 当たり前のことですが、言葉って、情報を伝えるわけですが、出す側と受ける側で違うものになるんですね。それで、誤解がないように丁寧に言葉数を多くして説明すればいいかっていうと、そんなわけでもなくて、解釈が一通りに定まるほどにギチギチに無機質な言葉を足すと、もうそれはそれで伝わらないんですね。 何ていうのか、たぶん、言葉を受けた側の頭の中で「広がる」ことを目指す言葉と「切る」ことを目指す言葉があるんだろうな、って思います。前者は、詩とか俳句とかコピーとか小説がそうだと思うのですが、言葉以前のもやもやした何かの核を直観的につまんで投げて相手の中でもそのもやもやが広がって、そのもやもやをもやもやのまま共有することが動機になってる言葉、みたいな。後者は、論文とか定義とか条文とか議事録とか、もやもやの輪郭を丁寧に切り取って、相手の中でも寸分違わない輪郭が切り取られることを目指す言葉、っていうのか。デジタル画像で例えると、前者が ベクター 、後者が ラスター 、みたいな。 たとえば、学会のポスターなんかだと、「大会テーマ」みたいに参加者の頭の中で広がって欲しい言葉と、「いつどこで誰が開催」とかっていういろんな可能性を切り捨てるための言葉、両方を1枚で伝えないといけないわけですが、この2種類の言葉って、形にするとなると、全然違うものなんですね。切り捨てるためには、背景の画像なんて邪魔でしかないし、フォントの種類もサイズも読みやすくて統一されてて、言葉数は多く、色数は少なく、合理的に構造化されてた方がいいと思うんです。一方で、広げたい時には、構造や枠組みは不要だし、色や形や大きさやニュアンスこそが要で、むしろ言葉自体が邪魔になったりさえすると思うんですね。難しいものです。 で、さっき言葉が「乗り物」という言い方をしましたが、ほんといろんなものを背負うもので、これも当たり前のことですが、言葉を出す人、受ける人、その間の関係性によって、一字一句同じ言葉でも、全く違う言葉になるんですね。たとえば、 「ピンクが好き

ピンピン

最近、RSS のチェックもあまりできていないのですが、欠かさずチェックするものがいくつかあって、その中の一つが 内田樹のブログ です。 今日のエントリー に驚きました。 「若い人たちは第一次産業に向かいます」 「贈与モデルに基づく新しい経済活動が始まります」 「仏教の僧侶たちがあらたな文化的指南力を発揮します」 「道場や寺子屋的な学び場を軸として地域共同体の再構築が始まります」 今のところ、第一次産業にはピンと来ないけど、後の3つはピンピン来ます。「会社を作ってみたい」「実家に帰ってみたい」「博士までいっときたい」って思った理由については自分でもよく分からないことが多いですが、きっと内田樹と同じような匂いをこの時代に感じてるんだと思います。今のところ具体的なプランは全然ないけれど、ま、とにかく頑張らなきゃという気持ちにさせられます。 「予言したことは予言しなかったことよりも現実化する可能性が高い」っていうのは本当にそうで、予言にピンと来た人はそれを自分に与えられた使命として頑張っちゃうんですね。

suica pasmo icoca pitapa

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つかの間、気持ちにゆとりが出来たので、ずっと気になってたICカードについて。 今まで携帯電話のモバイルスイカを使っていたのですが、iPhone にはそういう機能はありません。引き出しの奥で眠っていたPASMOに再登場してもらいました。 モバイルスイカは、関東でも関西でも使えていたので、このあたりはもう完全に互換性があるものだと思って、PASMOで関西のJRに乗ろうとしたら改札で止められてしまいました。仕方なく、「ICOCA は関東でも使える」って聞いたことがある、って思って調べもせずにICOCAを買ってしまったのですが、これで東京の地下鉄に乗ろうとしたら改札で止められてしまいました...。 で、調べてみました。   関東JR 関西JR 関東私鉄 関西私鉄 SUICA ○ ○ ○ × PASMO ○ × ○ × ICOCA ○ ○ × ○ PiTaPa × ○ × ○ へえ。微妙に不便...。 関西に住んではいますが、関西の私鉄より関東の私鉄の方が利用頻度が高そうなので、SUICAが一番の選択肢ってことですね。

ウィルコクソンの符号順位検定

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ほんとびっくりするくらいよく働きます。よく頑張った。ほんとよく頑張った。そしてミッキーマウスの服を買いました。ふふふ。

Supreme

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忙しいと言っておきながら、どうでもいいエントリーです。 今日のお仕事、大きく2つ目標があるのですが、その2つが今日中に達成出来た場合、 この服を買います。ミッキーマウスが好きってことじゃないですよ。 Supreme は、カウンター・カルチャラルな服屋さんです。

師走

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12月、もう7日..。 大変に忙しい日々を過ごしています。嬉しいことではあるのですが、嬉しい悲鳴がただの悲鳴になりつつあります。メールや電話は今までに経験したことがない感じの数と密度になっています。今のところ、クレームなどはなくて「お願い」「ありがとう」っていうメールばかりなのが救いです。これから年度末までやや不安ですが、何とかなります。します。 何かしてその対価にお金をもらう、とてもシンプルなことに思えて、実はとても複雑で奥深いことなんですね。お金と商品以外に、もっとたくさんの色んな事がやり取りされてて、っていうか、お金と商品なんて、全体のプロセスの中では極々一部なんですね。上手く説明できないけれど、また時間ができたらゆっくり考えます。 近況メモ。 11月30日早朝の新幹線の車窓から。岐阜あたりかな。 朝の山登りランニング 、時々サボりつつ続いています。この写真はもうかなり明るい時間ですが、夜明け直前の山道はびっくりするほど綺麗です。 12月4日。浜名湖です。シロシベじゃないお仕事、っていうのか何ていうのか、浜松に行ってきました。素敵な人ってたくさんいるもんです。

ネット銀行だって立派な銀行だぜ

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先日シロシベの確定申告したところ、還付金があるので法人の口座情報を教えて、って言われました。ジャパンネット銀行のシロシベ口座を伝えたところ、還付金の振り込み口座としては使えない、って言われてしまいました。法人の口座はそれしかないので個人の口座でいいかと問うと、それもダメ。っていうかそもそも、還付金といっても2円だそうで、省略してもらっていいんですけど?って言っても、それもダメ。郵便為替でお送りしますので、郵便局で現金を受け取ってください、と。2円返すのにどれだけの(以下略)。 で、その日の夕方シロシベ号の自動車保険の契約をしました。保険料の口座引き落としなのですが、もちろん会社経費で払うので、シロシベ口座から落としてもらおうとすると、これもまたダメ。ネット系の銀行は使えないんです...。クレジットカードで払うのは?って言ってもこれもダメ。結局個人口座から引き落とし...。経費扱いにはなるそうですが、その辺をすっきり分けたくて作ってる法人口座と法人カードなのに...。 ネット銀行だって立派な銀行だぜ。っていう話です。

クロルプロマジン換算

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抗精神病薬について勉強しなくちゃいけないことになってしまいました。今まで近い場所にいながら、ちゃんと勉強したことがありません。勉強といっても、簡単な集計ができればいいだけのことなので、効き方や副作用、作用機序なんてことはどうでもいいことです。名前とクロルプロマジン換算値だけです。自分用のメモです。 よく頑張った!google も wikipedia もえらい!これぐらいの種類なら何とかなりそう。

ベジェ曲線

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シロシベのお仕事、「はい、まかせて下さい。それ超得意です。」と言い切れることはほとんどなくて、どのお仕事にも、「一度もやったことないですけど、たぶんできると思います...。」という作業が入っています。最初は、そんな状態で請け負ってしまっていいものか、本当にできるだろうか、と不安になったりもしましたが、もうすっかりタフになったというか、鈍くなったというか、ググってやり方を調べて、試行錯誤して、って感じでやり方を勉強するところから始めるのが普通の状態になってきています。日々是勉強です。 今回は、↓このような画像を印刷できるように描き直すという作業です。 イラレを使うんだろうな、ということは分かります。それ以降はわかりません...。とりあえずググってググってどうやらペンツールを使えばいいということが分かり、 ベジェ曲線、パス、アンカーポイント、コーナーポイント、スムースポイント、セグメント、新出単語の嵐です。理解できなくても直感的に描けるっていうのは、ベジェがすごいのかアドビがすごいのか。 今日、ペンツールの使い方をおぼえました。今までそんなことも知らずによくやってたな...って話です。

Song Dong

これは ニューヨークのMOMA で展示されていた、宋冬(Song Dong)の「Waste Not / 物尽其用」という作品。宋冬の母親が50年間捨てずにお家に持っていたものをそのまま展示した作品( こちらが詳しいです )。 僕は容赦なく物を捨てます。でも、捨てる時に何も思わないわけではなくて、罪悪感や良心の呵責を人並みにというか、きっと人並み以上に感じています。どんなしょうもない物であっても、それを作った人や運んだ人、売る人、買う人、あげる人、膨大な数の人が関わっていて、いろんな思いがつまっているのは知っています。何とも思わないわけではありません。 原料になっている素材だって、たとえば、木綿のシャツの原料になった綿の木にしたって、その木を育てた土には、近くで息絶えた小さな生き物の死体が微生物によって分解されてできた土が混ざっていて、その木を育てた雨には、どこかの海でクジラの吹いた潮が蒸発して雲になった水だって混ざっているわけです。ロマンチックな話ではなくて、事実としてそうなっているわけです。プラスチックみたいな化石燃料由来の素材なんて、化石燃料がそもそも地中に堆積した動植物の死骸なわけで、なんていうのか、いろいろ思うわけです。 宋冬のお母さんは捨てなかったわけですが、これは「極めて貧しい生活の中で、いつか再利用しようと捨てずに屋内に大切に保管」という説明ももちろんあるとは思いますが、別に「極めて貧しい体験」をしたことがない人だって物を捨てるのは心苦しいわけで、人に物を捨てさせることを躊躇わせるもっと原始的で根源的な何かがあるような気がしてならないわけです。 あと、こういうのを見ると、なんていうか、捨てることももったいないけど、作ることも買うことも贈ることも、ちゃんと後のことを考えないといけないな、って思います。 何がいいたいか分からなくなってきましたが、いろんなことを考えさせてくれる素敵な作品だなって話です。

シロシベ号

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車に社名を入れたい 。 バンクシー かっこいい。というわけで、よせばいいのにスプレーで描いてしまいました。後悔しません。後悔してることを認めません。

おこうこのたいたのん

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明日と明後日はテストなわけですが、どうもやる気が出てきません...。困ったものです。 で、上の写真、「おこうこのたいたのん」を作る途中の写真です。「おこうこ」というのは沢庵( 「お香々考」という素敵なページがあります )、「たいた」は「炊いた」で、京都などの言葉で「たくあんを煮たもの」という言葉です。料理名です。wikipedia によると(wikipedia って何でも載ってますね!) 日本の郷土料理。京都府、滋賀県、福井県、石川県などに分布する。古沢庵漬けを出汁や醤油などで煮付け、仕上げに唐辛子などを散らしたもの。酒のつまみやご飯のおかず、茶漬けの付け合わせとして、温かいまま、または冷やしたものを食べる。主に夏から秋にかけての料理である。地域や家庭によって「たくあんの煮たの」、「たくあんの炊いたん」、「贅沢煮」(そのままでも食べられるのにわざわざ一手間をかける点が「贅沢」)、「ふるさと煮」、「大名煮(京都)」など様々な異称がある。「たくあんの煮たの」などは初めて聞くものには違和感を抱かせる呼称だが、いずれも地域に根づいたれっきとした固有の料理名である。( たくあんの煮物 - wikipedia ) ですって。うちでは「贅沢煮」って呼ばれています。で、この料理、珍しくもなんともなくて、どっちかっていうと食傷気味の食べ物なわけですが、初めての人には評判がよかったり、場所が場所ならとても高価な料理だったりするらしいんですね。漬物の塩をわざわざ抜いて煮物にするわけで、お手間いりの料理ですしね。 場所がかわるだけで価値ってびっくりするくらい変わる、って思わされることが最近たくさんあります。時や場所によらず大事なものって何なのか、っていうか、そもそもそんなものあるのか、今テスト勉強することがどれほど大事なのか、そんなことを考え始めてテスト勉強のやる気が全然でてきません。

壱越の商

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今日で研修は最後。最終日のメニューはお経の読み方。 「はい、出音(しゅっとん)は壱越(いちこつ)の商です。ここで2回ユリが入ってきります。では一回やってみますね。とぉべーいーーーーいいぃぃいいいぃぃいぃぃいいぃぃ...、ね?」 ね?ってね...。 画讃-大師影供作法 上の写真のはこんな感じでです。勝手にアップしていいのか分かりませんが、っていうか、たぶんダメですが、指摘されたら検討するという方向でアップします。 で、これ、できるようになるとは到底思えないわけです。とにかく前途多難です...。

ニルヴァーナ

今日は「仏教教義」です。昨日は日本の各宗派のお話でしたが、今日は仏教全体に底流する思想についてです。 様々なバリエーションのある仏教、何が仏教かっていうとよく分かりません。インドから漢訳され中国に伝わったお経、当時偽物がたくさん出回り、その真偽を確かめる時の指標があったそうで、四法印と呼ばれます。ここから外れると仏教とはよばない、みたいな、仏教を仏教たらしめる原理だそうです。 諸行無常 諸法無我 涅槃静寂 一切皆苦 だそうです。4つ目は1つ目に含まれると解釈し三法印とする立場があって...、とか何とか、根本原理のところからすでにいろいろあるわけですが...。 諸行無常。全ての現象は刹那刹那に変化する。 諸法無我。諸法っていうのは、あらゆるものごと、概念化できるものすべて、みたいな意味だそうです。無我ですが、「我」っていうのは「自分」とか「私」とはちょっと違って、 アートマンの「我」 です。現代日本語では「霊魂」などと近い意味だそうです。で、霊魂はどこにもない、というのが「諸法無我」です。この「どこにもない」っていうのが、全てはかりそめの姿、全ては「空」、「ない」とはいうけど、ないんじゃなくて・・・、っていう「空」の思想につながるものです。 涅槃静寂。仏教が目指す境地です。 涅槃はサンスクリットのニルヴァーナ(nirvana) のことで、滅、寂、などと訳される言葉。煩悩の火が吹き消された状態、悟りの境地、みたいな状態だそうです。苦しみから解放された静寂を目指すのが仏教、っていうことでしょうか。 一切皆苦。そもそも全ては苦しいものである。確かに仏教っぽいです。「苦」は、実際の苦痛っていうよりも広い意味で、思い通りにならないこと、みたいな意味だそうです。「苦」についてもいろいろあるんですがまたおいおい。 以上、たしかに仏教っぽい。とはいえ、例外や解釈の違いは山のようにあります。 で、「縁起」というのも、仏教の中心にある思想だそうです。「因縁」とか「因果」ともいいます、全ての結果には原因と条件がある、というものです。釈迦がこの「縁起」を分かりやすく説明したものが、「四諦八正道」というものだそうです。 「諦」は真理くらいの意味だそうです。4つあって、 苦諦 人生は苦である 集諦 苦の原因は煩悩である 減諦 煩悩を滅した境地が涅槃である 道諦 涅槃にいたる道が

日本の仏教あれこれ

1日更新をさぼってしまいましたが、昨日は「各宗の教義」でした。日本仏教のいろんな宗派についての勉強です。 大胆にざっとまとめます。 ・奈良仏教は中国より伝わった仏教の文献を読み解く研究としての仏教。この時代の「宗」は「学派」の意味。東大寺に共存していた6学派が、後に「南都六宗」とよばれる三論宗、法相宗、華厳宗、律宗、倶舎宗、成実宗へ。 ・平安仏教(天台宗と真言宗)ではじめて仏教の日本的解釈が始まる。学問・研究から信仰・実践へ。 ・鎌倉仏教(禅宗、日蓮宗、浄土宗)、それまで僧侶や貴族階層のものだった仏教が大衆化され、理論や実践が単純化され簡素化される。 で、各宗派、これもざっくりまとめます。まず奈良時代から。 三論宗。今は教団として存在しているわけではありませんが、後の日本仏教に大きな影響を与えた宗派だそうです。般若経に説かれている「空」の思想を体系化したもの。うぅん、空の思想ってとても興味深いわけですが、教科書からちょっと引用すると、 有と無を否定してすべては空であると説いた。眼前の全てはかりそめの姿。しかし実体がないからといって、全くの無でもない。有の空、空の有というべきもので、互いに妨げるものがないというのが真実。しかし、有とは空に即した有であるから、有といっても単なる有ではない。同様に空も有に即した空であるから単なる空ではない。よって非有非空と表現されるが、この非有非空も言葉でもって表現した以上すでに真実でなくなる。よって真実を表現しようとすれば再度これを否定しなければならない。 みたいな感じです。直観的にとても深いことが書かれているようには思いますが、まあ、何というか...。っていうか、奈良時代の日本人がこんなことを考えていたことに感動します。奈良時代ってギャートルズみたいな感じなのかと思ってました。 法相宗。日本伝来は三論宗に次いで古いものです。仏教では宗派によらず、迷いや惑い、苦悩からの脱却が目指されるわけですが、そこでは、人の心や精神の働きを明らかにしようとする試みが生まれます。法相宗では、心のはたらきをの中心を「心王」と呼び、「眼識」「耳識」「鼻識」「舌識」「身識」「意識」「末那識」「阿頼耶識」という8つの識で構成されると説きます。末那識とか阿頼耶識、どんなものか気になるところですが、説明を読んでパッと分かるものではありません。「フロイト

規則

今日のテーマは「宗門法規」です。今日の講師は、本願寺のなんとか部長という事務方の偉い人です。主な内容は、教団の規則、教団組織、宗教法人法、の3つです。 今年法人を作っているので、宗教法人法などには興味が全くないってことではありません。今年は法人という言葉がやたら登場します。 浄土真宗本願寺派には様々な組織と規則があり、講義では教団を国にたとえて説明されます。憲法の前文にあたるのが宗制、憲法が宗法、法律が宗規、・・・、国会が宗会、内閣が総局、司法当局にあたるのが監正局・・・って感じだそうです。配布された組織図、とっても難解です。縦と横が入り組んでるっていうか、それぞれが従属関係でも並列関係でもない、みたいな。わかりやすいところでは、 浄土真宗本願寺派(包括宗教法人)  |  |― 本山本願寺(京都堀川通の西本願寺)  |― 直属寺院(築地の本願寺など46別院・19教堂)  |― 一般寺院(全国の10300寺院)  |― 門主(一番偉い人、親鸞の末裔)     |― 宗会     |― 総局     |― 監正局     |― 勧学寮     |― ・・・ って感じですが、実際にはそれぞれが両矢印でもっと複雑に結ばれています。宗派全体で大きな法人なのですが、それに属する個々のお寺も独立した法人格を持っていて、宗派全体の法人に包括される、という法人です。よく分かりませんが、個々のお寺は子会社みたいな感じになるのかなぁ。ちょっと違うかなぁ。こう見ると、一般寺院と本願寺と門主が並列になっているように見えますが、実質的には本願寺派と本願寺は一体になっていて、門主は本願寺や直属寺院の住職なので、ま、とにかくややこしいです。 で、法人なので、法人の規則を定めて所轄省庁(都道府県知事、法人が県をまたぐ場合には文部科学大臣)の認証を得る必要があって、本願寺派が包括宗教法人として文科大臣の認証を受けている規則が宗規、各寺院が単位宗教法人として認証を受けている規則が寺則。とはいえ、日本に法人という言葉ができるずっと前からある団体なので、各種規則は明治になって後付けで作られたものです。さらに、今の宗教法人法が制定されたのが昭和26年なので、多く規則はそれに合わせて戦後に制定されたものです。 たとえば宗法を見てみると、 第一章 総則 (名称)第一条 この宗門は、浄土真宗本願寺派とい

淘汰

今日は仏教史です。ふう...。今日の講師は龍谷大学の教授です。山口県の小さなお寺の住職でもあるとのこと。 紀元前のインドから現代アジア諸国にいたる仏教の流れのお話なのかと思っていましたが、今日の先生が専門にされているのが日本近代史だそうで、その辺りばっさりはしょって(!)、江戸時代の日本仏教のお話でした。 江戸時代の日本仏教は、「幕藩制仏教」ともよばれ、徳川幕府の正統宗教として政治に組み込まれ、教団運営の地盤が固まるとともに、教義理念に基づいて権力を批判する能力を失った時代、ということができるそうです。膨大な数の寺院が創建され、教団と各寺院、寺院と檀家のネットワークが制度化された時代でもあります。 たとえば寺請制度。幕府のキリスト教禁制のためのこの政策は、全国民が強制的に仏教寺院に所属させられる制度です。戸籍業務の仏教寺院への委託、というか、強制加入の檀家制度です。この時代の寺院は実質的には役所の出先機関だったんですね。お寺の過去帳が充実してるのはこういう歴史があったんですね。 で、この制度、寺院側としては安定した運営や収入を保証される形となり、僧侶の堕落が目立つようになった時代でもあり、明治維新時の激しい廃仏毀釈の背景となります。 また、この制度によって、僧侶と民衆の接点が増え、良くも悪くも仏教が大衆化された時代でもあり、加持祈祷やお祓いといった現生利益的な仏教が流行し始めたのもこの頃だそうです。 檀家制度ってこんな形で作られたものなんですね。檀家制度の崩壊、という言葉はよく聞きますが、そりゃ崩壊しますね。っていうかいまだに残ってるっていうのがむしろ驚きです。明治になって約150年、約5世代、まあ残っててもおかしくはないのかな。すでに都市部ではかなりなくなっていると思いますが、滋賀県などでもおそらく僕の世代が檀家制度の最後です。既得権益の上にあぐらを組んでいるお寺が本格的に淘汰される時代です。

布教法

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お休みを1日はさんで6日目「布教法」です。布教の方法、布教も何も...と思いつつも興味のあるタイトルです。開始前にレジュメが配られます。人前で話すこと、好きか嫌いか問われれば、まあ嫌いです。でもまあ仕方ない。最初は嫌いだったけどはまってた、なんてこともよくあることです。 作法のお話と実演から入ります。 法話の作法については明文化されたルールがあるわけでなく、慣習としての作法です。もちろん大切なのは話の中身ですが、作法がなっていなければ伝わるものも伝わらない、ということです。 演題の設置場所、会場への入り方、話し始めるまでの作法、話し終えた後の作法、出方、いろいろあります。とはいえ、演題の前で立って話したり、畳の上で座って話したり、会場の形や状況は様々なので、臨機応変に、丁寧に、わざとらしくなく、リズム感のある所作を、とのこと。 次は「心得」です。 話す側と聞く側、立場は全く同じです。教えるのではなく学ぶという姿勢です。法話は「おとりつぎ」と呼ばれます。親鸞の思想、教え、を伝える、取次ぐ、という意味です。言葉で伝えることも重要ではあるが、行動こそが重要です。何を考え、どう行動し、どういう生き様か、見られているのはそこです。そこがおろそかであっては何も伝わらない。とはいえ、常に強く正しく清らかに生きることも難しく、与えられた能力も様々。大事なのは謙虚に真面目に学ぶ姿勢です。といったお話。 お寺は布教の中心施設。しかし、階段が急、暗い、暑い、寒い、乳幼児や高齢者や障害者が来やすい建物になってない。古い建物にはそれなりの良さもありつつ、お寺の本来的な意味を考えると変えていくことも検討すべきだろう。布教は言葉だけではなく、環境を整えることも大事です。少なくとも掃除はちゃんとしてください。と。 布教使は布教師ではない、というお話。「私が教える」「私が助ける」「私が・・」ではない、あくまでも、私は取り次ぎに使わされたもの。学んで教えるのではなく、学ぶ姿が人に伝わります。学ぶことと伝えることは常に同時進行です。と。 仏徳讃嘆が大事です。仏の教えを伝え説明し感動させることではなく、仏の教えを聞き味わい感動することです。仏の言葉を伝えることで救われるのであれば誰も苦労しません。苦悩を共有すること、共感すること、寄り添うこと、まずはそこからです。と。 道は長いわけです。

Gospel & Religious

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研修では「お経の読み方」っていうのも習うわけです。教材としてCDなども作られてるんですね。iTunesに入れたらちゃんと曲名が自動入力されました。アーティスト「式務部・勤式指導所」、ジャンル「Gospel & Religious」。文字化けしてるわけじゃないんです。明日から電車の中でこれを聞くんです。

後悔先に立たず

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ちょっと線香の匂いが漂うブログになってます。ちょっと話題をかえて、いま地球上でもっともイケてる車ことタウンエースのお話。研修でほったらかしになってましたが、先週9日に納車されてたんですね。シロシベの車なので、シロシベってどこかに入れたいわけです。別に入れなくちゃいけないわけではありませんが、こういった商用車はやっぱり何か書いてないと落ち着きません。というわけで、Photoshop でああでもないこうでもない、とやっていたわけです。段ボール製ステンシルテンプレートとスプレーで描いてやろうかと思って。後悔するかなぁ...。

5日目

こんにちは。研修5日目、今日は「真宗史」です。主に親鸞の生涯についてのお話でした。 東京大学史料編纂所での「親鸞非実在説とその反論」の紹介から始まります。でまあ、実在したというのが今の定説。とはいえ、詳細については諸説あったりもします。主な情報のソースは、親鸞の曾孫が残した「親鸞伝絵(しんらんでんね)」や恵信尼の書簡などです。 親鸞は1173年、京都の日野家の長男として誕生。日野家は平安朝廷に仕える官吏の家系。時代は古代から中世への転換期、公家から武家へ勢力が大きく移る時代。親鸞と父と4人の弟全てが出家していることから、日野家は平安末期に次々に没落した下級公家の一つであったらしい、とのこと。何かに目覚めて出家したわけではなく、それしかなくて出家した、みたいなことなんですね。 1181年、9歳で得度。その時に詠んだと伝えられる歌、 「明日ありと おもう心の あだ桜 夜半にあらしの 吹かぬものかは」 9歳って今でいう何歳なんでしょう。9歳か...。平安貴族ってどんな教育してたんでしょうね。平安末期って9歳児でも無常感を言葉にしてしまうような世の中だったんでしょうかね。 で、得度して比叡山にのぼります。 当時の比叡山は天台宗の総本山というだけでなく仏教を学ぶ最高学府。親鸞はここで「堂僧」として20年間修業します。堂僧とは、主に「不断念仏の行」を行う僧です。不断念仏の行は、1日に20時間以上、食事と入浴以外、阿弥陀仏像の周囲を「南無阿弥陀仏」と口にしながらぐるぐる歩き続けるっていうのを90日間続ける、っていう修行だそうです...。これをやってると、感覚が研ぎ澄まされて、線香の灰の落ちる音が轟音になり、仏が見えるようになる、と。それは確かに見えそうです。これを9歳から29歳までの20年間続けます。しかも平均寿命は今よりはるかに短い当時の20年。ううん、ちょっと想像を絶します。で、仏が見えると、どんな仏が見えたかを偉いお坊さんに報告するんですって。そうすると、偉いお坊さんが「それは本物」とか「それは違う」って判断するんだそうです。現代において、これを精神科の先生に報告するとお薬が出てきそうですね。強制的に別の修行が始まってしまうとかね。 で、親鸞は思い悩んだ末、比叡山を29歳(1201年)で下ります。そして尊敬する聖徳太子にゆかりのある京都の六角堂に100日通います。

松田タクシ一

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一見「松田タクシー」に見えるけど、よく見ると「松田タクシ一」。「ー(長音符)」と「一(いち)」は似てるけど違います。全角だけでも「‐(ハイフン)」とか「―(ダッシュ)」とか「-(マイナス)」とかいろいろあります。注意してください。気になって仕方ありません。 というわけで、研修4日目「宗教概説」です。 宗教を扱う学問にはいろいろあります。特定の一宗教を対象にして信者の立場から研究し、その成果を実際の生活に生かそうとする志向をもつ神学的研究、特定の宗教を信じるという立場ではなく理性的・批判的に宗教を思弁する哲学的研究、客観的に科学的に宗教を理解しようとする宗教史学、宗教心理学、宗教社会学、宗教民俗学、宗教現象学...、まあ、いろいろあるようです。 そうそう、昨日と一昨日に受講した教義に関する講義、「なんでこんなにスッキリしないかぁ」と思っていたのですが、あれは神学的アプローチの研究成果なんですね。今日の講師の先生は、これを「こてこての真宗学」と呼ぶんですが、こてこての真宗学では、浄土真宗の僧侶が僧侶として研究するんですね。だから「親鸞の●●という言葉は...」とは言わずに「宗祖の●●というお言葉を味わせてもらうと...」なんて言い方をするんですね。内容には無批判で。それがすごく大きな違和感だったんだなぁ、と思ってすっきりしました。神学ってどういう学問なんだろう、って思ってましたが、ちょっと意味が分かったような気がします。宗教の内側から宗教を見る学問、っていうのかな。非科学的ではありますが、とても大事なことですね。宗教に限らず内側に入らないと見えないことってありますもんね。 で、宗教の定義、これも古くからいろんな人がいろいろ言ってて、 無限なるものを認知する心の能力(マックス・ミュラー) 有限者の精神が無限の神的精神を了知する過程(ヘーゲル) 敬虔と呼ぶ心の状態(ティーレ) ひたすらなる依存感情(シュライエルマッハー) 道徳的義務を神命として承認することである(カント) 知性としての宗教、情緒としての宗教、意思としての宗教、いろいろです。 ちなみに、「宗教」という日本語は「Religion」の訳語として明治時代に作られた言葉で、Religion の語源はラテン語の Religio、これは超自然的な事物に接した時の畏怖や不安といった感情、その感情をひきおこす対

二つの河の間の白く細い道

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研修3日目です。今日のテーマは「真宗教義・宗祖教義」です(「きょう」で変換すると「経」と出ました)。宗祖、つまりの 親鸞 の思想についてです。親鸞は800年前の日本人なので直接読める言葉も多くて、昨日の講義の内容に比べるとだいぶ近しい感じがしますが、それでも、いつどのように書かれたのかが不明である文章も多く、筆跡の分析で書かれた年代や順番を推測してたり、当然、書かれている内容も簡単に解釈がわかれる感じです。今日の講師は、 教学伝道研究センター の研究員の方です。 前半は親鸞の著作物について、です。 親鸞が書き残したものはたくさんあります。漢文で書かれているものが、「 顕浄土真実教行証文類 」、「 浄土文類聚鈔 」「 愚禿鈔 」「 入出二門偈頌 」。和文で書かれているのもが、「 浄土和讃 」、「 高僧和讃 」、「 正像末和讃 」、「浄土三経往生文類」、「尊号真像銘文」、「一念多念文意」、「唯信鈔文意」、他にもたくさんの文書や、「ご消息」と呼ばれる弟子宛ての手紙やメモがたくさん残っているそうです。このあたり、試験に出ます。 親鸞といえば「 歎異抄 」なのかと思っていたのですが、これは親鸞の死後に弟子(唯円?)が親鸞の言葉を回想して書いたものだそうで、宗制の中では「聖教に準ずるもの」として親鸞本人の著作物とは同格に扱わないんですって。へえ。「口伝の真信に異なるを歎(なげ)き」つまり、口承で伝えられる教えが曲解されることを嘆いて書かれたから「歎異抄」なんですね。へえ。 後半は教義の中身に入ります。 今日の資料を見てみると、キーワードは、「往相・還相の二種の回向」、「教・行・信・証の四法」、「出世本懐」、「南無阿弥陀仏の六字釈」、「信心」、「信心正因」、「称名念仏」、「自力と他力」、「現生正定聚」、「涅槃」、「難思議往生」などなどです。それぞれさらっとかいつまんで説明できるとは思えないので今日は断念します。 親鸞に著作物に繰り返し出てくる「二河の譬喩(にがのひゆ)」というのがあります。大雑把に要約すると、 西に向かって旅する人がいる。 果てしない荒野を旅してきたこの旅人の周辺に人は誰もいない。 群賊悪獣が競い合ってこの旅人を殺そうとしている。 死を怖れて走って逃げてきた旅人の目の前に忽然と二つの大河が現れる。 南側に火の河、北側に水の河、それぞれ深く広く底

三経七祖

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研修2日目、浄土真宗の教義についてです。浄土真宗の開祖は親鸞ですが、親鸞が拠り所にした3つのお経と7人の僧についてのお話です。三経七祖と呼ばれます。 お経は釈迦の教えですが、釈迦が書いたものではなく、釈迦との対話を弟子たちが書き残したものです。なので無数のバージョンがあります。各宗派の開祖が、その中から琴線に触れた経典を選定し、それを解釈し、その基礎の上に構築した思想が各宗派の教義です(っていうことだと思います)。浄土真宗の開祖、親鸞が選んだのは「 大無量寿経 」「 観無量寿経 」「 阿弥陀経 」の3つだそうです。教科書を見ると「観無量寿経の梵本は未だ発見されていない」なんてことがさらっと書いてあるわけです。拠り所にしているお経のオリジナルが未発見、ってひどく不安な気持ちにさせられますが、そういうものなんですね。でまあ、上の3つの漢字に伝訳された3つのお経の親鸞の解釈が浄土真宗、ってことなんです。きっと。 内容については、教科書を呼んでみると、 大無量寿経は上下二巻に分かれ、上巻において弥陀成仏の因果が説かれる。弥陀成仏の因果とは、阿弥陀仏もと法蔵菩薩であった時、衆生救済の悲願止みがたく、世自在王仏のみもとにおいて、二百一十億の諸仏王を覩見し、その中より善見なるものを選取して理想の浄土を建立し、その浄土に衆生を往生させたいと念じた。・・・ うふふ。「分からない」ことは多々ありますが、ここまで分からないのは久しぶりです。分かるようになるのかしら...。でも、考えてもみれば、初めはチンプンカンプンだった大学院のゼミもいつの間にかああだこうだ言うようになってたり、数年前は宇宙語でしかなかったHTMLとCSSを今は書いたりしてるわけで、今はさっぱり分からない状態でも分かるようになったりするんですよね。「分かる」って不思議なことです。 で、浄土真宗の教義を知る上で重要なのが七高僧と呼ばれる七人の僧侶です。もっと言ってしまうと、七高僧の三経の解釈を親鸞が解釈したものが浄土真宗、ってことなんだと思います。たぶんですけどね。で、七高僧っていうのは、インドの 龍樹 、 天親 、中国の 曇鸞 、 道綽 、 善導 、日本の 源信 、 源空 なんですね。なぜこの七人かというと、選定基準っていうのがあって、 自ら西方往生を念ず 書を撰して他力の法を弘伝す 法儀に発揮するところあり

布袍

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こんにちは。 昨日から教師検定講習会というものに参加しています。教師というのは僧侶の規範となる僧侶、みたいなことだそうで、下世話な言い方をすると「住職資格」的なものです。教師になるための修礼(しゅらい)という合宿研修のようなものがあるのですが、その修礼に参加するための講習会です。この講習会の最後に試験があって、試験に合格すると修礼に参加できるんだそうです。現代的でシステマティック。 で、初日のプログラムは「基幹運動」と「勤式作法(ごんしきさほう)」です。 午前のコマは「基幹運動」です。基幹運動というのは、浄土真宗の宗制を実現していく運動のことだそうで、宗制というのは国でいうところの憲法に相当するものだそう。午前中の講義は、そのような文章が作られた背景とその変遷について。講師は、広島の山間部の過疎の村(65歳以上が人口の60%!)のお寺の住職です。最初に宗制が制定されたのが1886年(明治19年)と意外と新しくって、明治政府とのいろんな交渉の中で、それまで政府のコントロールの外にあった各教団が文部省の管轄におさまることになって、その際にそれぞれ宗派の宗旨の明文化が必要になって制定されたんだそうです。その後の政治の動き、特に戦争へ向かう動きに抗ったり流されたりしつつ、宗制の改正が繰り返されてきたんだそうです。教義と教団運営の間の葛藤とか、教義と実生活の折り合い、変えていくべきところと変えちゃいけないところ、僕自身の個人的な葛藤とも重なることが多く面白かったです。そもそも教義って何よ、って話ですが、これは日を改めて。 午後は「勤式作法(ごんしきさほう)」です。お作法です。歩き方、立ち方、座り方、服装、お経の読み方、鐘の鳴らし方、仏壇の中の物の名前とその配置、各種法要などなどについてです。「これ試験に出ます」っていう台詞、久しぶりに聞きました。たとえばどんなのが出るかというと、「蹲踞(そんこ)の姿勢は、正座の状態から両足の踵を上げた状態で...」「散華(さんげ)とは華籠(けろう)の中の華葩(けは)を右前方に散らす作法で...」とか「礼装第一種は、色衣(しきえ)、七条袈裟(しちじょうげさ)、僧綱板(そうごうばん)、切袴(きりばかま)・・・」とかとか。変換しても出てこない漢字がいっぱいで面倒なのでもうやめますが、「説明できて漢字で書けるようにしておいてくださいね。」

視線に対する視線に対する視線

いろいろありまして 、今日は「僕にとってのブログ」について書きます。 本題に入る前に、いまこれを新幹線の中で書いているのですが、iPhoneにはGPSが入っていて、カーナビみたいにgoogle map上で現在位置を表示したりできるんですね。地図と車窓を見比べたりしていると、当たり前のことですが、川にも山にも道にも全ての場所に名前がついてることとか、視界には入っていない遠くの方まで町が続いていることとか、いろいろ感動します。ずっと地図と車窓を見ていたい気分ですが、いろいろあるのでブログについて書きます。 ブログを書くことの魅力はたくさんありますが、今日はその中でも、メンタルヘルスに関係しそうな部分について考えます。タイトルは「僕にとってのブログ―視線に対する視線に対する視線」。うふふ。大上段に構えてみました。 -- ブログはウェブ上で公開する日記のようなものです。公開を前提とした日記を書くことで、決して大袈裟ではなく、この世界を見つめる視線が大きく変化します。 そもそも日記の内容は十人十色です。その日の天気や気温、行った場所、食べた物などを淡々と客観的に記録し続ける業務日誌のようなものから、赤裸々に心情を書き綴る自分宛てのラブレターのような日記まで様々です。そんな多様な日記の中にある共通点といえば、自分を外から見つめる作業を強いられる点ではないでしょうか。 夕食のメニューを日記に書くだけにしても、何を食べたか思い出して言葉にして記録するためには、数時間前の自分を見直さなければなりません。まして、その夕食の味や、味にまつわる思い出、そこでの会話、そこで感じたことまで書こうとすれば膨大な内省の作業が必要になります。日記を書くためには、自分が見たものをもう一度見直さなくてはなりません。 ここに、別役実の「正しい日記の書き方」という文章があります。 或る日記中毒患者が、生涯の伴侶としてしかるべき女性に遂に巡り会い、思わず顔をほころばせて「これで今日、日記に書くことが出来た」とつぶやいたという話がある。言うまでもなく、それをもれ聞いてしまった当の女性は、彼の「生涯の伴侶」となることを拒絶した。もちろん、そのことが自体が彼の不幸なのではない。その不幸すらも日記の材料とし、不幸と感じとり得ないことが彼の不幸なのである。 笑い話のようではありますが、これこそ日記の本

僕が考える素敵な車ベスト10

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こんなブログを書いている場合ではなかろう、という声が複数の場所から聞こえてきそうな11月初旬の平日です。今日、警察署に行って車庫証明の書類を受け取ってきました。というわけで、車についてです。 幼少期より車が好きで、今でも町を走っているかっこいい車を見てワクワクしています。車好きといっても、欲しいとか乗りたいとか、そういうことは思いません。花を見てきれいと思う、そんな感じで、車を見てドキドキする、そういう車好きです。 というわけで、僕が考える素敵な車ベスト10です。 第10位 ポルシェ911 小学生のときに「ポルシェターボRSR934レーシング」っていうタミヤのラジコンを持ってたんです。最もわくわくさせられた車の一つです。934はレース用の車で市販はされてないのかな。新しいのもかっこいいですね。というわけで、911が第10位です。 第9位 VW ニュービートル これはかわいい。賛否両論ありそうですが、僕は新しいほうのビートルが好きです。 第8位 ハマー H1 こんな車「あげる」って言われても「いらない」と即答します。町で走ってるのを見かけても「バカだな〜」とつい思ってしまいます。でも、かっこいいとは思います。The Pharcyde の Runnin' でビデオで使われてて、このビデオも素敵です。 第7位 日産フェアレディZ ご近所のお兄さんが乗ってた「Z」です。3代目以降はピンときませんが、小さな頃この車にはドキドキしました。 第6位 ランボルギーニ・カウンタック これも子供心に憧れた車。このドアの開き方...。どんな顔しておりてくればいいんでしょうか。 第5位 アウディ R8 これは町で走ってるのを見て目が釘付けになりました。キリっとした顔と黒くえぐれた脇腹、しびれます。鼻の部分の小さめのエンブレムがまた上品。 第4位 フィアット チンクチェント ルパン3世の乗ってる車。何年か前に新しいのが出ましたが、これは古い方が好き。 第3位 アルファロメオ 8C スパイダー 実物を見たことないけど、どう考えてもかっこいい。キュっとしまったお尻のミステリアスな表情とかたまりません。 第2位 VW ゴルフ・カブリオレ まだヘッドライトが丸かったころのゴルフ・カブリオレ、大好きです。 そして、第1位 タウンエース ぶっちぎりの

木枯らし

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また久しぶりになってしまいました。なぜかまだバタバタしています。何をしてたのか、と聞かれるとよく分からないのですが、なかなかのんびりした感じになりません。田舎でののんびり生活をお届けするつもりが、以前より忙しくなってる気がするのはどういうわけでしょうか。 最近の出来事といえば、税理士さんにお願いして無事シロシベの確定申告ができたこととか、税理士さんに出納帳の書き方や領収書の残し方を教えてもらったこととか、大阪の中古車屋さんに行ったこととか、物を燃やしたこと、穴を掘ったこと、掃除したこと、一気に気温が下がったこと、...くらいしか思い出せないのですが、なぜか忙しく過ごしている気がします。シロシベが忙しいんですね。きっと。ブログに書き残しておきたいことがたくさんあるのですが、大事な時に限って時間がなかったりカメラを持っていなかったりするんですね。 一昨日、近畿地方で「木枯らし1号」がふいたそうで、その日のこの写真、左が秋で右が冬です。

ニューズレター

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シロシベのお仕事で日本精神衛生学会のウェブサイト制作を担当させていただき、学会のニュースレターにブログの文章を載せないか、とのメールをいただいたのが 1ヶ月前の話 。印刷されて会員の皆様に発送されたみたいです。 ブログを書いている人にとって、「ブログの記事を転載していいですか」ってとっても嬉しい出来事なんですね。でも、これが、「ニューズレター用に原稿書きませんか」だととってもつらい出来事だと思うんです。きっと「書きませんか」って頼む側にとっても、つらくて面倒なことだと思うんです。その上、文章を読む側にとっても、書きたくて書かれた文章と、書かされて書かれた文章、どっちが読んでて楽しいかっていうと、もちろん前者だと思うんです。何が言いたいかって、みんなブログ書けばいいのに、ってことです。まあ、これについては話が長くなるのでまたおいおい。で、せっかくなので、ニューズレター転載用に加筆したものを再転載。 素敵な方でした。優しく静かな声と語り口にどっぷりひきこまれてしまいました。未来を担う子ども、過去としての郷里、未完成であることの大切さ、戦争の体験、映像作家としての平和、知性と本能、清貧、祈り、ジョージ・ルーカス、様々なお話を聞かせていただきました。 中でも子役への演技指導のエピソードが印象的です。たとえば、子役の立ち位置を右に動かしたいとき、何の説明もせずに子役の肩を持って右に動かすといった子ども扱いをすると、子役は子どもとして振る舞い撮影は失敗するが、右に動いてほしい理由やその構図の意図を、大人の役者にするように、しっかり納得できるまで説明すると、子役は役者として演技し、撮影は成功する、というエピソードです。接し方が相手を作る、相手はこちらの考えを写す鏡になっている、というこのエピソードは、子役の演技指導のみならず、全ての対人援助サービスに重要な示唆を投げかけるエピソードだと思います。 打ち合わせの場で語られた話題は多種多様ですが、そこに一貫してにじみ出ている、監督の世界を見つめる視線の優しさや既成の価値観にとらわれない柔らかさにいたく感動しました。ご自身を「ベテランの子ども」と称される監督、子どもの曇りなき視線をずっと今まで持ち続けていらっしゃる、本当にそんな方だと感じます。

iPhone

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発売前から気になっていたiPhone、やや時機を逸した感がなくもありませんが、数ヶ月前にヨドバシカメラで実機を触って惚れ込み、住所が変わったらすぐに乗り換えようと心に決め、ついに乗り換えました。ほんとに素敵な機械です。 電話番号は今までと一緒ですが、tamakisono@ezweb.ne.jp はもう使えません。携帯メールは今までもそんなに使ってませんでしたが、新しい携帯のアドレスは使いませんので、gmail とかシロシベのアドレスにメールください。 "Taken with an Apple iPhone 3GS."です。

シロシベオフィス

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じゃん、シロシベの本社オフィスです。引越して1週間ほどでほぼ完成していたのですが、紹介する時間がなくバタバタしていました。まずは写真でご紹介。 やはり目につくのは分厚い一枚板のデスクです。約30年前に枯れた、お寺の境内に生えていた松の木です。製材して残されていたものの、使い道が見つからず眠っていました。Samsung のモニタを2つ並べるのにピッタリの大きさです。しばらくお借りします。 シロシベ唯一の商売道具、コンピュータです。左がWindowsで右Macです。WinとMacのどちらをメインにするか、ここ5年ほどずっと考えていたわけですが、たどりついた結論は両方。 Boot Camp なども考えたけど、やっぱり両方。快適です。 板を置いている台は、近所の閉店された学習塾で使われていた机。小学校などでよく使われている机です。天板下の教科書を入れるスペース、Mac Miniにぴったりです。ゴミ箱を空にしてから撮影すればよかった...。 アグレッシブなシロシベの攻撃性を象徴する角の帽子掛け。 プリンタについても、Canon や Epson、Ricoh、そもそも不要?と迷うこと数ヶ月。結局 Brother のカラーレーザー複合機が選ばれました。ちなみにこの複合機を置いている机は、これまた近所の閉店されたスナックで使われていた机。滋賀県で最もセクシーな企業、シロシベにぴったりの艶っぽい机です。あまりかっこいい机ではないので写真では割愛。 フットワークの軽さもシロシベの強みです。鞄は片付けません。東京、アムス、コペンハーゲン、大牟田にも出かけます。 24時間年中無休で営業中です。 今までは、電車で読書したり歩いたり、1時間以上かけてオンとオフの切り替えをしていたわけですが、これからは瞬時に切り替える術を身につけないといけません。