Japanese design principles
年末年始のお休みの季節ですね。とはいえ、テレビを見ない、新聞や雑誌も読まない、時々東京に行く以外は近所の山とかサウナくらいしか外出しない、みたいな生活なので、あまり実感が湧いてきません。メールとか電話でほのかにお休みモードの雰囲気が伝わってくるだけです。
Swissmiss で日本のデザイン哲学が紹介されてました。今までなら、「へぇ」って感じでスルーする記事ですが、言葉で自覚することの大切さについて考えている最中のインチキデザイナーなので、ちゃんと読んでブログに書いてみることにしました。
日本語を英語にしたものだろうから簡単に訳せるかと思ったら、意外と全然分かんない...。で、まあ、感想を。
「日本の美学=禅の美学」なんですね。縄文土器とか、装飾たっぷりのお寺とか、禅っぽさのない美学も他にいろいろあるとは思いますが、ま、そういう風に見られてるんですね。で、不均整で質素とかっていうのはよく聞きます。で、次の「ココウ(KOKOU)」ですが、これは何でしょう...。「孤高」くらいしか思いつかないけど、ちょっと違いますよね。なんだろう。次の「Shizen」こういう文脈では「自然(じねん)」じゃないかな、って思うけど、SHIZEN (natural) って書いてますね。説明の内容からしても、きっとこれは濁点がつく方の自然で、Spontaneous とかの方が近そうだけど、でも、微妙なニュアンスは分かんないな。幽玄、これもよく聞きます。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を思い出します。次の「脱俗」、脱俗にはたしかに浮世離れみたいな意味もあって、習慣や法からの自由っていうのもわかるけど、聖-俗っていう軸があっての脱俗なので、もうちょっと神聖なものへの畏怖、みたいなニュアンスがある言葉だと思うんですけどね。で、静寂。静かで落ち着いた幸福な孤独、分かりやすい言い回しですね。
なんていうか、いろいろ違和感を感じたり、すっきり説明されてたり、おもしろいものです。全体的に「確かにそうかも...」感はありますね。こういう自分の特徴って外の人に言われないと分かんないですしね。あと、外国の人の好きな日本って、日本の人の好きな日本でもあるんですね。
と、書いた後で元ネタを見つけました。久松真一の禅の美学の七分類だそうで。枡野俊明の「禅と禅芸術としての庭」での解説が、ここで引用されてます。「KOKOU」は「枯高」で「枯れて長けて強いこと。例えば、他を寄せ付けないような威厳のある老松の姿である。長年の風雪に耐え、余計なものをすべて切り落とし、力強さをもった松は、何ともいえない枯れ長けた美しさが感じられる。これと同様に、芸術の世界においても、未熟さや幼稚さが微塵も感じられることがなく、本当に物事の真髄のみが残り、峭峻な気高さが現れている美しさをいう。」だそうで。
Swissmiss で日本のデザイン哲学が紹介されてました。今までなら、「へぇ」って感じでスルーする記事ですが、言葉で自覚することの大切さについて考えている最中のインチキデザイナーなので、ちゃんと読んでブログに書いてみることにしました。
禅の美学は、仏教の諸行無常の思想に由来する。
不均整 (imbalanced)
自然には完全な対称などなく、完全であることは否定され、非対称、不規則、不均一、アンバランスが用いられる。
簡素 (simple)
装飾は排除され質素。きちんとしてて、率直で、ややこしくない。
ココウ? (austere)
ベーシックで(basic)、風雨にさらされた(weathered)、裸の(bear)、年月を経た(aged)、感覚的でない(unsensuous)、厳格(sternness)、禁止(forbiddance)、成熟(maturity)、重厚(weight)。
自然 (natural)
生(なま)で、自然で、はからいのない創造性。本当の naturalness は naive であることや accidentalであることとは違う。
幽玄 (subtle profound)
ほのめかし、隠された意味を明らかにしない。カジュアルな目には見えない、露骨でない。
脱俗 (unworldly)
従来の慣習や制度にとらわれない。法や規則からの自由な創造。
静寂 (calm)
静かで落ち着いた幸福な孤独。こころにも体にも環境にも混乱や雑音がないこと。
日本語を英語にしたものだろうから簡単に訳せるかと思ったら、意外と全然分かんない...。で、まあ、感想を。
「日本の美学=禅の美学」なんですね。縄文土器とか、装飾たっぷりのお寺とか、禅っぽさのない美学も他にいろいろあるとは思いますが、ま、そういう風に見られてるんですね。で、不均整で質素とかっていうのはよく聞きます。で、次の「ココウ(KOKOU)」ですが、これは何でしょう...。「孤高」くらいしか思いつかないけど、ちょっと違いますよね。なんだろう。次の「Shizen」こういう文脈では「自然(じねん)」じゃないかな、って思うけど、SHIZEN (natural) って書いてますね。説明の内容からしても、きっとこれは濁点がつく方の自然で、Spontaneous とかの方が近そうだけど、でも、微妙なニュアンスは分かんないな。幽玄、これもよく聞きます。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を思い出します。次の「脱俗」、脱俗にはたしかに浮世離れみたいな意味もあって、習慣や法からの自由っていうのもわかるけど、聖-俗っていう軸があっての脱俗なので、もうちょっと神聖なものへの畏怖、みたいなニュアンスがある言葉だと思うんですけどね。で、静寂。静かで落ち着いた幸福な孤独、分かりやすい言い回しですね。
なんていうか、いろいろ違和感を感じたり、すっきり説明されてたり、おもしろいものです。全体的に「確かにそうかも...」感はありますね。こういう自分の特徴って外の人に言われないと分かんないですしね。あと、外国の人の好きな日本って、日本の人の好きな日本でもあるんですね。
と、書いた後で元ネタを見つけました。久松真一の禅の美学の七分類だそうで。枡野俊明の「禅と禅芸術としての庭」での解説が、ここで引用されてます。「KOKOU」は「枯高」で「枯れて長けて強いこと。例えば、他を寄せ付けないような威厳のある老松の姿である。長年の風雪に耐え、余計なものをすべて切り落とし、力強さをもった松は、何ともいえない枯れ長けた美しさが感じられる。これと同様に、芸術の世界においても、未熟さや幼稚さが微塵も感じられることがなく、本当に物事の真髄のみが残り、峭峻な気高さが現れている美しさをいう。」だそうで。