Posts

Showing posts from September, 2016

「させていただく」について

Image
先日、メールに「○○させていただきます。」と書こうとして、ふと、違和感を感じた。この言い回し、話し言葉でよく使っているけど、書き言葉ではあまり見ないような気がする。これは間違ってるのかな、方言なのかな、と思ってググってみたらNHKのサイトに「 視点・論点「させていただきます症候群」 」というページがあった。 「させていただきます」は、明治の文学作品にも確認される言葉です。しかし、現在、この「させていただきます」については、批判的な意見もあります。紋切型だ、慇懃無礼だ、卑屈だ、許可した覚えはない、などです。さらに、使いすぎる人を「させていただきます症候群」と呼ぶ人もいます。「させていただます」のどこが批判されているのでしょうか。 というわけで、5つの類型に分けてその違和感が説明されている。要約すると、 すっきり話そうよ 「させていただく」は「いたします」で代用可能。   誰を立てているの? 「させていただく」は「させてくれる人」を立てる敬語なので、「課長をさせていただいています」と言ってしまうと社外の人に対して身内の上司を立ててしまう。  だれに許可をもらったの? 「させていただく」は、だれかの許可を得て行動していることを示唆する言い回しだけど、誰に許可をもらっているのか不明。「努力させていただきました」って、自分で勝手に努力してるんじゃないか。    自分勝手すぎるよ 相手に迷惑をかける行為と「させていただきます」という言葉は合わない。「突然ですが、今日でバイトを辞めさせていただきます」は、一見したところ丁寧な言い回しに見えて、一方的に通告している。    「さ」はいらないよ 「休まさせていただきます」は「休ませていただきます」でよくて、不要な「さ」が入った「さ入れ言葉」とも呼ばれている。 うんうん、確かにそうかも~、とやや腑に落ちないまま納得してしまって、そのメールでは「させていただく」を使うのをやめたのだけど、後日、 司馬遼太郎の「街道をゆく 24 近江散歩、奈良散歩」 を読んでいたら「させていただく」に関する一説があった。 近江を語る場合、 「近江門徒」  という精神的な土壌をはずして論ずることはできない。門徒寺の数も多く、どの村も、真宗寺院特有の大屋根を聖堂のようにかこんで、家々の配置をきめている。この地では、むかしから

外注について

Image
「ウェブサイトの企画、デザイン、コンテンツ制作、検証、すべてワンストップで丸投げ(全部まとめて請け負いますよ)!」という広告を見かけた。コンテンツを作るところまで外注してしまったら何が残るのだろうか、と考えこんでしまった。 ウェブサイトを家にたとえれば、土地の取得から設計、施工、庭の手入れも、子育ても介護も近所付き合いもホームパーティも、全部丸ごと請け負います、みたいなものじゃないのか。それは誰の家だ。 で。外注(アウトソーシング)って、僕の会社でもしたりされたり、わりと重要なテーマなので、ちょっと考えてみたい。 たとえば掃除って外注されがちな仕事で、大きな建物とか組織では専門の業者さんが入ってることが多くて、個人のお家でも外注してる人がいたりするし、ルンバみたいなロボットを導入してる人もいる。そういうのって、つい「もったいない」と思ってしまう。掃除に高いお金を払うこととか高価なロボットを買うことがもったいないのではなくて(それもあるけど)、掃除の気持ち良さを捨ててしまってることがもったいない。 掃除の気持ち良さって、掃除直後のきれいな片付いた状態で時間を過ごす気持ち良さもあるけど、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、掃除そのものの気持ち良さがあって、たとえば雑巾がけだと、自分の手が通った前と後で床がきれいに変化するわけだけど、これって、大げさな言い方をすれば、自分の手が世界を美しくする経験なわけで、こんなに簡単に確実に自分の手が世界を美しくできることって、そうそうない。きれいな物を作るのって手間暇のかかる大変な作業だけど、雑巾がけはとても簡単で確実だ。これを他人やロボットにやらせるなんてもったいない。というか、そもそも、掃除なんてしなくても、ちょっとやそっと汚れてても死ぬわけでもなし、面倒なら放っておけばいいのに。 掃除みたいな下らないことしてる暇があったらその時間を他のことに使う、ってことなんだろうけど、まぁ、きっとみんな立派な時間の使い方をしてるのだろう。それなら仕方ない。 外注といえば「餅は餅屋」っていう言葉を思い出す。確かに、専門家に外注するほうが速くて安くて高品質で効率的なのだけど、年末の餅つき大会を前にして、「スーパーで買えばよくない?」「てか、餅いらなくない?太るし。」って言ってしまうと、きっと悲しい顔をする人が出てくる