2016/11/30

ドラマ中毒



ここ1ヶ月、取り憑かれたようにドラマばかり見てた。 

Amazonってブラウザで動画も見れるんだぁ、と思ってふと見始めた「プリズン・ブレイク」ではまってしまって、シーズン4まで一気に見て、   

LOST」っていうのがおもしろいらしい、ということでHULUの無料体験で全シーズン一気に見て、    
もう完全にドラマ中毒になって、Netflix のアカウント作って「The Get Down


そして「NARCOS」。

ここ十数年、映画やドラマをほとんど見てなくて、こんなにドラマを見たのは18~19歳の時に「太陽にほえろ!」と「北の国から」のビデオをひたすら見てた時以来だ。

それぞれの内容については、すでにいろんな人がいろんなこと書いてるので省略するけど、この4つの中では「NARCOS」が一番好きだったなぁ。「The Get Down」はヒップホップ好きにはたまらない。「Prison Break」と「LOST」は、最初はいいんだけど、後半は無理やり引き延ばした感じがしてちょっと疲れる(のだけど見るの止められない...)。

上のドラマ、全部でたぶん200時間くらいあって、それを1ヶ月で見てしまったのだけど、1日あたり...、怖くて割り算できない。睡眠時間を削りまくって、仕事もできるだけ後回しにして、腰を痛めて(ずっと同じ姿勢で座ってるから)、こんなことしてちゃダメだとは思いつつ、「次を見る」をクリックするだけで続きが始まってしまうのでついつい...。

もうドラマ見るのやめよ...。やめられるかな...。無料体験期間はいいとしようか...。

2016/10/19

携帯電話を新しくした


極楽湯の駐車場でスマホを落として画面を割ってしまったので新調した。 

ちょうど Google の「Pixel」が発売されるらしいというので発売を待ってたのだけど、日本が一次発売国に入ってなかったのであきらめて1年前の「Nexus 5X」にした。これで何代目になるんだろうか。1998年に1代目、2001年に2代目...、だったような気がして、そして、2003年の3代目以降は、
  • 2003年 Sony Ericsson A1101S(白) 
  • 2005年 Sony Ericsson A1404S(黒) 
  • 2007年 Sony Ericsson W51S(黒) 
  • 2009年 iPhone 3GS(黒) 
  • 2011年 iPhone 4(白) 
  • 2014年 Nexus 5(黒) 
  • 2016年 Nexus 5X(白)

懐かしい。どれにもそれぞれ思い出がある。今回の端末にはどんなエピソードがくっつくのだろうか。そういえば、今年、ダイエットの波が2年周期でやってくることに気づいたのだけど、携帯電話もほぼ2年リズムだ(2年縛り契約のせいだけど)。

2005年。


2011年。


2014年。


2016年。

毎回撮ってるつもりだっだけど、抜け抜けだ。

2009年の iPhone 3GS、一番ワクワクした端末なのに、入れ忘れてた...。悔しいな...。



2016/09/29

「させていただく」について



先日、メールに「○○させていただきます。」と書こうとして、ふと、違和感を感じた。この言い回し、話し言葉でよく使っているけど、書き言葉ではあまり見ないような気がする。これは間違ってるのかな、方言なのかな、と思ってググってみたらNHKのサイトに「視点・論点「させていただきます症候群」」というページがあった。
「させていただきます」は、明治の文学作品にも確認される言葉です。しかし、現在、この「させていただきます」については、批判的な意見もあります。紋切型だ、慇懃無礼だ、卑屈だ、許可した覚えはない、などです。さらに、使いすぎる人を「させていただきます症候群」と呼ぶ人もいます。「させていただます」のどこが批判されているのでしょうか。
というわけで、5つの類型に分けてその違和感が説明されている。要約すると、
  1. すっきり話そうよ
    「させていただく」は「いたします」で代用可能。  
  2. 誰を立てているの?
    「させていただく」は「させてくれる人」を立てる敬語なので、「課長をさせていただいています」と言ってしまうと社外の人に対して身内の上司を立ててしまう。 
  3. だれに許可をもらったの?
    「させていただく」は、だれかの許可を得て行動していることを示唆する言い回しだけど、誰に許可をもらっているのか不明。「努力させていただきました」って、自分で勝手に努力してるんじゃないか。   
  4. 自分勝手すぎるよ
    相手に迷惑をかける行為と「させていただきます」という言葉は合わない。「突然ですが、今日でバイトを辞めさせていただきます」は、一見したところ丁寧な言い回しに見えて、一方的に通告している。   
  5. 「さ」はいらないよ
    「休まさせていただきます」は「休ませていただきます」でよくて、不要な「さ」が入った「さ入れ言葉」とも呼ばれている。
うんうん、確かにそうかも~、とやや腑に落ちないまま納得してしまって、そのメールでは「させていただく」を使うのをやめたのだけど、後日、司馬遼太郎の「街道をゆく 24 近江散歩、奈良散歩」を読んでいたら「させていただく」に関する一説があった。
近江を語る場合、
「近江門徒」
 という精神的な土壌をはずして論ずることはできない。門徒寺の数も多く、どの村も、真宗寺院特有の大屋根を聖堂のようにかこんで、家々の配置をきめている。この地では、むかしから五十戸ぐらいの門徒でりっぱな寺を維持してきたが、寺の作法と、講でのつきあい、さらには真宗の絶対他力の教義が、近江人のことばづかいや物腰を丁寧にしてきた。
 日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。
 この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。「それでは帰らせて頂きます」。「あすとりに来させて頂きます」。「そういうわけで、御社に受験させて頂きました」。「はい、おかげ様で、元気に暮させて頂いております」。
 この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、他宗には、思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来――他力――によって生かしていただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお蔭でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山からの説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜は九時に寝かせていただく。この語法は、絶対他力を想定してしか成立しない。それによって「お蔭」が成立し、「お蔭」という観念があればこそ、「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。
 かつての近江商人のおもしろさは、かれらが同時に近江門徒であったことである。京・大坂や江戸へ出て商いをする場合も、得意先の玄関先でつい門徒語法が出た。
「かしこまりました。それではあすの三時に届けさせて頂きます」
 というふうに。この語法は、とくに昭和になってから東京に滲透したように思える。明治文学における東京での舞台の会話には、こういう語法は一例もなさそうである。
腑に落ちた。この背景を踏まえれば、NKHのサイトの解説に出てくる5つの違和感がどれもすっきりする。

自分が生きてるんじゃない、生かされているんだ、という思想が背景にあるので、「(他力に)させていただく」は「(自力で)いたします」で代用できるものでは全然なくて、「すっきり話そうよ」と言われても、自分も社会も人生もそんなにすっきりしたものではない。

「誰を立てているの?だれに許可をもらったの?」阿弥陀如来だ。「阿弥陀如来」は「はかり知れない大きな真実」のような意味かと思うけど(そう言い換えてしまうとちょっと軽薄な感じがしてしまうけど)、少なくともここでは、相手や上司を立てているのではなく、全く次元の違う方向に向かった敬意が込められているわけで、確かに、何も知らないと違和感があるかもしれない。

「自分勝手すぎる」まぁ、確かに「やめさせていただく」って、一方的な通告だし、相手への敬意が感じられないかもしれないのだけど、実際に上方の人が「やめさせていただく」なんて台詞を使う時は、相手への敬意なんて込めていない場合が多いのではないだろうか。漫才のオチの決まり文句に「やめさせてもらうわ!」っていうのがあるけど、あれは「こんなアホらしいことやってられるか、もうおしまいや!」くらいの意味なわけで、「やめさせていただく」なんて言葉を吐かれる側にもそれなりの理由があるのかもしれない。 

そして、不要な「さ」が入った「さ入れ言葉」。「休まさせていただく」は、自分が休むんじゃなくて、上司が私を休ませる、さらに、その上司の行動の原因は他力であるので、他力が上司に私を休ませる、という意味で、使役動詞「す」の未然形の「さ」が入った二重使役なんだろう。

というわけで、

  • 紋切型だ → たしかに形骸化してる
  • 慇懃無礼だ → 敬意の方向にそもそも誤解がある
  • 卑屈だ → 他人に対して卑屈なのではなく他力に対して謙虚
  • 許可した覚えはない → あなたに許可を求めた覚えはない

ああ、すっきりした。

NHKのサイトのせいで、あやうくこの味わい深い言い回しを放棄してしまうところだった。これからは「させていただく」を積極的に活用させていただきます。

2016/09/14

外注について



「ウェブサイトの企画、デザイン、コンテンツ制作、検証、すべてワンストップで丸投げ(全部まとめて請け負いますよ)!」という広告を見かけた。コンテンツを作るところまで外注してしまったら何が残るのだろうか、と考えこんでしまった。

ウェブサイトを家にたとえれば、土地の取得から設計、施工、庭の手入れも、子育ても介護も近所付き合いもホームパーティも、全部丸ごと請け負います、みたいなものじゃないのか。それは誰の家だ。

で。外注(アウトソーシング)って、僕の会社でもしたりされたり、わりと重要なテーマなので、ちょっと考えてみたい。

たとえば掃除って外注されがちな仕事で、大きな建物とか組織では専門の業者さんが入ってることが多くて、個人のお家でも外注してる人がいたりするし、ルンバみたいなロボットを導入してる人もいる。そういうのって、つい「もったいない」と思ってしまう。掃除に高いお金を払うこととか高価なロボットを買うことがもったいないのではなくて(それもあるけど)、掃除の気持ち良さを捨ててしまってることがもったいない。

掃除の気持ち良さって、掃除直後のきれいな片付いた状態で時間を過ごす気持ち良さもあるけど、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、掃除そのものの気持ち良さがあって、たとえば雑巾がけだと、自分の手が通った前と後で床がきれいに変化するわけだけど、これって、大げさな言い方をすれば、自分の手が世界を美しくする経験なわけで、こんなに簡単に確実に自分の手が世界を美しくできることって、そうそうない。きれいな物を作るのって手間暇のかかる大変な作業だけど、雑巾がけはとても簡単で確実だ。これを他人やロボットにやらせるなんてもったいない。というか、そもそも、掃除なんてしなくても、ちょっとやそっと汚れてても死ぬわけでもなし、面倒なら放っておけばいいのに。

掃除みたいな下らないことしてる暇があったらその時間を他のことに使う、ってことなんだろうけど、まぁ、きっとみんな立派な時間の使い方をしてるのだろう。それなら仕方ない。

外注といえば「餅は餅屋」っていう言葉を思い出す。確かに、専門家に外注するほうが速くて安くて高品質で効率的なのだけど、年末の餅つき大会を前にして、「スーパーで買えばよくない?」「てか、餅いらなくない?太るし。」って言ってしまうと、きっと悲しい顔をする人が出てくる。餅つき大会で求められているのは、安価で高品質な餅ではなくて親睦だから。

そういえば、東京に住んでた時、近所でお祭りがあってお神輿が出てて、「東京にもちゃんとこういう地域のコミュニティ残ってるんですねぇ。」って言ったら地元の人が「いや、お神輿かつぐ業者さんがあるんですよ。」って言われてとても驚いたことを思い出した。お神輿なんて外注して何が楽しいのか分からないのだけど、担ぐの(地域のお付き合い)は面倒だけど雰囲気は楽しみたい、っていうこともあり得るのかな。あるかも。

つまりは、面倒なこと、単調なこと、汚いこと、ややこしいこと、難しいこと、疲れること、こういうものは外注したい。で、それで得られるおいしい部分を効率的にいただきたい。それが外注なのだと思うけど、そもそも生きるって面倒で単調で汚くてややこしくて難しくて疲れるものなので、効率的になって時間を余らせたところで、結局辛いんじゃないか、という気がして仕方ない。ま、その余暇の時間をつぶす作業の面倒なところも外注すればいいのか。で、実際にそういう商売がたくさんあるのか。

人生丸ごと外注できたら楽かもしれない。けど、それってどんな状態だ。面倒なことは何もしなくてよくて好きなことだけしてればいい、なんてことになったら...、掃除とかしてそう...。

2016/08/25

37



37歳だ。ここ数年、誕生日に生命表を見るのが恒例になっていて、今年も見てみた。

日本の37歳の男性の平均余命は44.69年で、38歳までに0.08%が死ぬそうだ。45年は予定を立てるには長すぎるし、0.1%弱は気にするには小さすぎるので、結局「へぇ」と思うだけで終わるのだけど。

とりあえず、コツコツまじめに生きてるといいんだろうなぁ、と思う。