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Showing posts from December, 2012

12****

2012年を振り返る。 まずは恒例の毎日撮ってる写真を1分で振り返るムービー。今年は音楽をつけてみた。 今年のハイライトはなんだろうか。福島に行った(3月)、フィラデルフィアに行ってフィリスに会った(3月)、鹿児島に行った(7月)、終戦記念日に広島の平和記念公園に行った(8月)、Tシャツ作った(8月)、家族看護学会で発表した(9月)、うちのお寺で友達が結婚した(9月)、シロシベ・リトリートを作りたくなってきた(10月)、飯沢さん&ときたまさんが来た(10月)、書道を始めた(10月)、京都でBOSEに会った(11月)、一閑張りを作った(11月)、熟柿庵に行った(12月)...。今年は本格的に引きこもっていたような気がしたけど、そうでもないなぁ。 今年の抱負 は、 12kgやせる。 歯医者に行く。 本を24冊読む。 だったけど、ダイエットは目標の半分の 6kgしか減らなかった 。 歯医者には7月に行った 。本は、ブログにメモした本だけで、 川上弘美の「神様 2011」 タナカカツキの「サ道」  安冨歩の「原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―」 安冨歩の「生きる技法」 東浩紀の「一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル」 アルフレッド・W・クロスビーの「数量化革命」 金子勝と児玉龍彦の「逆システム学―市場と生命のしくみを解き明かす」 網野善彦の「無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和」  ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン―惨事便乗型資本主義の正体を暴く」  島薗進の「日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ」 高木俊介の「精神医療の光と影」 エマニュエル・トッドの「世界の多様性 家族構造と近代性」 エーリッヒ・フロムの「愛するということ」 孫崎享の「戦後史の正体」 國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」 網野善彦の「日本の歴史をよみなおす」 上野千鶴子の「近代家族の成立と終焉」 千田有紀の「日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか」 松田毅一&E・ヨリッセン(著)「フロイスの日本覚書―日本とヨーロッパの風習の違い」 斎藤環の「家族の痕跡―いちばん最後に残るもの」 R.D.レインの「好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび」 網野善彦の「異型の王権」 みうらじゅんの

白蕊の飛田新地

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つづく書道熱。臨書ばっかりしてるのもつまらない、創作がしたい、展覧会にも興味が出てくる、となってくる。 書道展や書道家のウェブサイトを見てみると、まぁ、なんというか、あまりの書道人口の多さ、層の厚さ、歴史の蓄積の大きさに驚き、ちょっとやそっと「これ、新しいんじゃないか」なんて思っても、そんなことは数百年前に誰かがすでにやってる、みたいなことになってしまうことはすぐに分かる。 書道作品の発表の場として、展覧会はあまりに競合が多すぎて、多少練習したくらいではまるでかなわない感じがするので出す気にもならないのだけど、書道層とウェブ層はそんなに重なってないらしく、ウェブ上での発表がいいんじゃないか、電通の関係のない唯一のSNSこと(本当かどうか知らないけど、そういう雰囲気は感じる)、Tumblr とかが良さそう、などと思い始める。 書道してると、今まで気付いてなかった日常生活の書道作品に目が留まるようになる。お寺の掛け軸や屏風はもちろん、醤油や味噌、和菓子、酒、焼酎、このあたりのパッケージにはほぼ100%に書が用いられていて、町の中でも、居酒屋さん、料理屋さん、着物屋さんの看板、いろんな雑誌や広告、いたるところに書があることに気付く。あと、お経の本の字なんかも全然気にしてなかったけど、活字じゃなくてきれいな毛筆で書かれてて目を奪われる。 そんな中、ふと目に止まった SHINGO☆西成の「飛田新地」。 これももちろん看板の字が目について仕方ない。看板はプラスチック製に見えるけど、ペンキで手書きかな、モダンな技術を使ってあるのかな、何にしても、角丸正方形の白地に黒文字だけのタイトなデザインにグッとくる。で、店の名前がどれもこれも 書道ジェニック 。どれも1~3文字の漢字や仮名で、半紙で練習するのにもってこい。しかも、どれもほのかに色っぽい言葉なのも、年寄り臭くなくていい。気軽に「いいね!」とかできない感じも素晴らしい。 セックスワークの歴史や倫理、周辺にある暴力や搾取や社会的不公平、こういうものについてどうのこうの言いたいわけではないけれど、というかそもそもよく知らないのだけど、とにかく、ここのお店の名前を書きたい、と思って書いてみた。 白蕊の飛田新地  - tobita-shinchi-psilocybe.tumblr.com