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Showing posts from August, 2012

網野善彦と斎藤環と松岡宮

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最近読んだ2冊の本。 網野善彦(著)「 日本の歴史をよみなおす 」 ずっと学校の歴史の授業では、歴史の何がおもしろいのかさっぱり分からずに大嫌いだったけど、今年「 無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和」を読んで すっかりはまった。 孫崎さんの「戦後史の正体」 もそうだけど、歴史を知ると、今目の前に見えてる世界の意味ががらっと変わるんですね(何を今更...かもしれないけど)。 本来捨てられるはずだったふすまの下地に使われてる紙に残された言葉から、公式に残されてる文書では見えてこない当時の人たちの生活が明らかになっていく様子とか、とてもスリリングでおもしろかった。 栄枯盛衰というか諸行無常というか、当時はものすごい勢いがあったであろう人やシステムが、跡形もなく消えて忘れ去られていくこと、あらためて驚く。と、同時に、人間の変わらなさにも驚く。 あと、家族と女性の地位について最近興味があるのだけど、そこで紹介されていた ルイス・フロイスの「日本覚書」 、すごくおもしろそうで買ってしまった。 で、2冊目は、斎藤環(著) 「 家族の痕跡―いちばん最後に残るもの 」 拙著『家族の痕跡』(ちくま文庫)にも引用した傑作詩「謝れ職業人」の作者が判明しました。松岡宮さんという方でした。 d.hatena.ne.jp/pentaxx/201208… — 斎藤環 (@pentaxxx) August 14, 2012 松岡先輩 の詩が引用されてるんだって!しかも、今関心のある家族がテーマ。というわけで即購入した本。詩は 斎藤環氏のブログ で読めます。必読。 宮崎駿の勤労感をややシニカルに紹介した直後にこの詩を引用して、 この詩に出会って以来、私はいっそう、「勤勉の美徳」なる概念については、疑いを持つようになった。「謝れ職業人」の過激さは、勤勉の自慢が有害である以上に、勤勉の美しさまでが暴力的であるというところまで届いているところだ。その職業が社会にとって有益か否かに関係なく、「職業を持つもの」は「持たざるもの」に謝罪しなければならない、という主張。この過激さは、果たしてどれほど理解・共感されうるだろうか。 僕はこの詩を読んで、自分が「白いブヨブヨした腹を踏みつけてサーフィンしている」こと、自分の無自覚の加害性に気付かされてショックでした

33

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誕生日なのでブログ更新。 33歳。思うこと、感じること、考えること、特になし。 (ツイートに全文入るエントリーだ。)

「ヒマの過ごし方」を聞きながら「暇と退屈の倫理学」を読んだ

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 國分功一郎 著「暇と退屈の倫理学」 を読んだ。すごく面白かった。各章の副題が、 ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?  人間はいつから退屈しているのか? なぜ”ひまじん”が尊敬されきたのか? 贅沢とは何か? そもそも退屈とは何か? トカゲの世界をのぞくことは可能か? 決断することは人間の証しか? 印象的だった部分のメモ。 一章ではパスカル。 狩りとは何か? パスカルはこう言う。 狩りとは買ったりもらったりしたのでは欲しくもないウサギを追いかけて一日中駆けずり回ることである。 人は獲物が欲しいのではない。 退屈から逃れたいから、気晴らしをしたいから、 ひいては、みじめな人間の運命から目をそらしたいから、 狩りに行くのである。 …(略)…人間は退屈に耐えられないから気晴らしを求める。 賭け事をしたり、戦争をしたり、名誉ある職をもとめたりする。 それだけならまだ分かる。 しかし人間のみじめはそこでは終わらない。 おろかなる人間は、退屈に耐えられないから気晴らしをもとめているにすぎないというのに、 自分が追い求めるもののなかに本当の幸福があると思い込んでいる、 とパスカルは言うのである。 …(略)…狩りや賭け事は気晴らしである。 そして、「君は。自分がもとめているものを手に入れたとしても幸福にはならないよ」 などと訳知り顔で人に指摘して回るのも同じく気晴らしなのだ。 しかもその人は、この取り違えを知った上で、 自分はそこには陥っていない思い込んでいるのだから、 こういう人はもっともおろかだ。 二章では、 西田正規の「人類史のなかの定住革命」 が読みたくなった。 三章は経済史のお話で、ポスト・フォーディズムの消費=生産スタイルが構造的に要請する労働形態(非正規雇用)について、 かつてオフィス・オートメーションが現れたときには、機械が人間の雇用を奪うと恐れられた。しかしそれは杞憂に終わった。いまは人間が機械の代わりをしている。 前後がないとあれだけど、すごく納得。 四章では、ルソーの「自然状態論」。 たとえばだれかが集めた果実や、その人が殺した獲物、その人が使っていた洞窟を、別の人が力ずくで奪うことはできる。しかし、どうやって他人を服従させることができるだろう?「所有するものが何もない人々の間で、他人を自分に依存

名前を書く欄について

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最近手に入れた帽子と靴。 「戦闘帽」。奥さんの実家が自衛隊の帽子を製造・販売される帽子屋さんで、この前おじゃました時にいただいてしまいました。Wikipediaによると、 戦闘帽(せんとうぼう)とは、軍隊の軍服における制帽の一種として採用されることの多い略帽の一形式であり、作業帽の一種でもある。戦斗帽と記述する場合もある。...日本においては、戦闘帽とは支那事変から太平洋戦争(大東亜戦争)に掛けて大日本帝国陸軍及び大日本帝国海軍の軍服の略帽として制式採用され、後には国民服の制帽として大日本帝国の男子国民の多くに着用が求められた...  Wikipedia - 戦闘帽 「国民服」のページ も読むといろいろ驚くけど、それはさておき、帽体正面にY字型の継ぎ目がある特徴的な台形、短い目庇、後頭部側合わせ面の調整紐、ストラップ、ちょっとしたディテールの違いなんだけど、野球帽とは全然印象が違います。デモでよく見る機動隊員の方たちもこの帽子ですね。あと、 この前読んだ孫崎さんの本 の表紙の日本軍の方もこの形の帽子ですね。ものすごい歴史と意味がこもった帽子だけど、単に帽子のデザインして見ればかっこいい。現代のスーツやコート、軍服由来のデザインが多かったりするけど、どうしてなんでしょうね。 で、もう一つがミドリ安全の作業靴。とても良いので、初めて amazonのレビュー を書いてしまった。amazonレビューといえば、 「夏の夜独りじゃがりこ噛み得たり 」が良かった。 で、この2つの共通点。名前を書くところがあること。 学校の体操服以来じゃないかな、自分の服に名前を書く場所があるのは。いい年した大人なわけですから、どれが自分の物かなんて名前書いてなくても分かるんだけど、この夏手に入れた物には2つとも名前を書く所があった。 こういうネームタグとか、制服とか、子どもの頃から大っ嫌いで、なんで他人に着るものを指図されなきゃいけないのか、揃えないといけないのか、などとぼんやりと感じていたわけですが、大人になって制服のことを考えてみれば、 制服を設けるもっとも重要な目的は、組織内部の人間と組織外部の人間、組織内の序列・職能・所属などを明確に区別できるようにすることである。また、同じ制服を着ている者同士の連帯感を強めたり、自尊心や規律あるいは忠誠心を

お盆の集い2012

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お盆の集い2012。 昼過ぎから準備を始めてダンゴムシをつかまえて。 この後大雨が降るも、開始15分前にすっきり上がる。 おつとめをして、二河白道の比喩のDVDを見て、一乗かなめ氏のマジック。   くじびき、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくい、輪投げ、花火。

67年目の広島平和記念公園

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ちょうど8月6日に広島に行くことができたので、式典をテレビで見た後、原爆投下から67年目の平和記念公園に行ってきた。小学校の修学旅行で1回目、大人になって2回目、 2010年にソロモン先生と3回目 、で、 今日が2年ぶり4度目の平和記念公園 。年をとるごとに戦争や原爆の意味が分かってきて、月日は遠ざかっているけど、抱く感情は大きく重くなっていく。 式典での、 比治山小6年の三保竜己さんと安北小6年の遠藤真優さんの「平和への誓い」 、これって、小学6年生が書けるのかなぁ、先生も手伝うのかな、どっちにしても感動した。 平和はわたしたちでつくるものです。 身近なところに、できることがあります。 違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。 思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。 わたしたちは、平和をつくり続けます。 仲間とともに、行動していくことを誓います。 沖縄の北谷町から千羽鶴。沖縄だってひどい被害があっただろうに、どういう思いで折り鶴を折るのかな。ちょっとググるだけでも、 北谷町は米軍上陸の地であり、したがってその体験記録には興味深い証言がいくつもある。中でも、丸太で米軍戦車を防ごうとした話や竹細工でオトリの飛行機を作った話は、今でこそ笑い話だが、そうした日本軍の作戦のもとに20万余の人命が無惨にも失われたことを考えると、暗然たる思いになる。...調査の結果、沖縄戦での犠牲者は1207人(戦死率15.1%)になったという。これは、西原町の戦死率46.9%、浦添市の44.6%と比べ、北谷町の際立った特徴である。ところで、県内53市町村のうち、こうした詳細な戦災調査を実施しているのは、この北谷町・西原町・浦添市などまだ一部でしかない。沖縄戦でいったいどれだけの人々が犠牲になったのかは、最も基本的なことでありながら、今だに解決されない問題なのである。 1993年2月6日・琉球新報・夕刊 暗澹とする。沖縄のこと、もっと知らないといけないと思う。 夜、NHKで「 黒い雨~活かされなかった被爆者調査~ 」を見た。 去年2011年の暮れ、被爆に関する「あるデータ」が突然公表された。原爆投下直後に降った放射性物質を含む雨“黒い雨”に、1万3千人もの人が遭ったことを示す分布地図だ。 黒い雨とは、原子爆弾投下後に降る、原

孫崎享の「戦後史の正体」を読んだ

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孫崎享の「 戦後史の正体 」を読んだ。 原発事故の直後(というか、今も昔もなんだけど)、マスメディアの嘘や隠蔽が露骨で、どうしようもない気持ちになり、そんな時に孫崎氏のTwitter ( @magosaki_ukeru )を見つけ、それ以来ずっとフォローしてます。その孫崎氏が最近いくつか出された本の中でも気になっていた「戦後史の正体」を読んだ。 全体的な印象としては、「え!それは知らなかった!衝撃!」というよりも、「ああ...。なるほど、そういうわけで、こうなってるのか...。」という感じで、不条理に感じていたことが、実は不条理でもなく、合理的で当たり前のこととして、整理されていく感じ。「高校生にも分かるような文体」で書かれているおかげでものすごく分かりやすい。 たとえば、検察特捜部が特定の政治家を起訴して、メディアが乗っかって叩いて、そして失脚させる、という一連の流れ。最近、小沢一郎周辺の話でモヤモヤしてたけど、これなんかも、 米国とのあいだに問題をかかえていた日本の政治家(首相クラス)が、汚職関連の事件を摘発され、失脚したケースは次の通りです。 芦田均(在日米軍について「有事駐留」を主張(←常時駐留を拒否))の昭和電工事件 田中角栄(米国に先駆けて中国との国交回復)のロッキード事件 竹下登(自衛隊の軍事協力について米側と路線対立)のリクルート事件 橋本龍太郎(金融政策などで独自路線、中国に接近)の日歯連事件 小沢一郎(在日米軍は第七艦隊だけでよいと発言、中国に接近)の陸山会事件 戦後直後から延々と繰り返されてるんですね...。で、全然知らなかったことだけど、 歴史的に特捜部は米国と深い関係を持っています。まず1947年、東京地検特捜部が占領下で、GHQのために働く捜査機関として発足します。敗戦直後は、それまで旧日本軍が貯蔵していた莫大な資材が、さまざまな形で横流しされ、行方不明になっていました。1945年10月にはGHQ自身が、東京の三井信託の地下倉庫からダイヤモンドをなんと16万カラットも接収しています。そうした不正に隠された物資を探しだして、GHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が、東京地検特捜部の前身です。「GHQの管理下に置くことを目的にする」という点に注意してくださ