名前を書く欄について
最近手に入れた帽子と靴。
「戦闘帽」。奥さんの実家が自衛隊の帽子を製造・販売される帽子屋さんで、この前おじゃました時にいただいてしまいました。Wikipediaによると、
で、もう一つがミドリ安全の作業靴。とても良いので、初めてamazonのレビューを書いてしまった。amazonレビューといえば、「夏の夜独りじゃがりこ噛み得たり」が良かった。
で、この2つの共通点。名前を書くところがあること。
学校の体操服以来じゃないかな、自分の服に名前を書く場所があるのは。いい年した大人なわけですから、どれが自分の物かなんて名前書いてなくても分かるんだけど、この夏手に入れた物には2つとも名前を書く所があった。
こういうネームタグとか、制服とか、子どもの頃から大っ嫌いで、なんで他人に着るものを指図されなきゃいけないのか、揃えないといけないのか、などとぼんやりと感じていたわけですが、大人になって制服のことを考えてみれば、
なんだけど、なぜか、この夏に「かっこいい」と思って手に入れた靴と帽子がまさに制服なんですね。
ずっと制服を嫌がって、一方で、自分で「かっこいい」と思って選ぶ物があるわけだけど、これって、よくよく考えてみれば、服屋さんや広告屋さんに教えてもらって選んでいて、自分の「個性」や「感性」で選んでいると思っていたものも、実は、あらかじめ受け取られ方の決められた商品でしかなかったりするんですね。国や組織や権威の奴隷になるのが嫌で、産業や経済の奴隷になっていただけ、というか。
この1年、いかに自分の行動や思想、感覚までもが産業や経済に影響を受けているのかを思い知らされ、隷属していることに自覚的になってきて、そして、隷属の象徴ともいえる「名前を書く欄」のあるような物に親しみを覚えるようになってきた、ということかな。
僕が服のデザイナーだったら、今シーズン作る服には全て「名前を書く欄」をつけそうだな。「人は救済と思い込んで隷属を求めて戦う(スピノザ)」とか書いて。
「戦闘帽」。奥さんの実家が自衛隊の帽子を製造・販売される帽子屋さんで、この前おじゃました時にいただいてしまいました。Wikipediaによると、
戦闘帽(せんとうぼう)とは、軍隊の軍服における制帽の一種として採用されることの多い略帽の一形式であり、作業帽の一種でもある。戦斗帽と記述する場合もある。...日本においては、戦闘帽とは支那事変から太平洋戦争(大東亜戦争)に掛けて大日本帝国陸軍及び大日本帝国海軍の軍服の略帽として制式採用され、後には国民服の制帽として大日本帝国の男子国民の多くに着用が求められた... Wikipedia - 戦闘帽「国民服」のページも読むといろいろ驚くけど、それはさておき、帽体正面にY字型の継ぎ目がある特徴的な台形、短い目庇、後頭部側合わせ面の調整紐、ストラップ、ちょっとしたディテールの違いなんだけど、野球帽とは全然印象が違います。デモでよく見る機動隊員の方たちもこの帽子ですね。あと、この前読んだ孫崎さんの本の表紙の日本軍の方もこの形の帽子ですね。ものすごい歴史と意味がこもった帽子だけど、単に帽子のデザインして見ればかっこいい。現代のスーツやコート、軍服由来のデザインが多かったりするけど、どうしてなんでしょうね。
で、もう一つがミドリ安全の作業靴。とても良いので、初めてamazonのレビューを書いてしまった。amazonレビューといえば、「夏の夜独りじゃがりこ噛み得たり」が良かった。
で、この2つの共通点。名前を書くところがあること。
学校の体操服以来じゃないかな、自分の服に名前を書く場所があるのは。いい年した大人なわけですから、どれが自分の物かなんて名前書いてなくても分かるんだけど、この夏手に入れた物には2つとも名前を書く所があった。
こういうネームタグとか、制服とか、子どもの頃から大っ嫌いで、なんで他人に着るものを指図されなきゃいけないのか、揃えないといけないのか、などとぼんやりと感じていたわけですが、大人になって制服のことを考えてみれば、
制服を設けるもっとも重要な目的は、組織内部の人間と組織外部の人間、組織内の序列・職能・所属などを明確に区別できるようにすることである。また、同じ制服を着ている者同士の連帯感を強めたり、自尊心や規律あるいは忠誠心を高める効果が期待される場合もある。Wikipedia - 制服序列、機能、所属、区別、連帯感、自尊心、規律、忠誠心、やっぱりどれも好きじゃない言葉で、与えられた服で高まる自尊心や連帯感や忠誠心、なんて下らないのかとうんざりします。
なんだけど、なぜか、この夏に「かっこいい」と思って手に入れた靴と帽子がまさに制服なんですね。
ずっと制服を嫌がって、一方で、自分で「かっこいい」と思って選ぶ物があるわけだけど、これって、よくよく考えてみれば、服屋さんや広告屋さんに教えてもらって選んでいて、自分の「個性」や「感性」で選んでいると思っていたものも、実は、あらかじめ受け取られ方の決められた商品でしかなかったりするんですね。国や組織や権威の奴隷になるのが嫌で、産業や経済の奴隷になっていただけ、というか。
この1年、いかに自分の行動や思想、感覚までもが産業や経済に影響を受けているのかを思い知らされ、隷属していることに自覚的になってきて、そして、隷属の象徴ともいえる「名前を書く欄」のあるような物に親しみを覚えるようになってきた、ということかな。
僕が服のデザイナーだったら、今シーズン作る服には全て「名前を書く欄」をつけそうだな。「人は救済と思い込んで隷属を求めて戦う(スピノザ)」とか書いて。