ニルヴァーナ

今日は「仏教教義」です。昨日は日本の各宗派のお話でしたが、今日は仏教全体に底流する思想についてです。

様々なバリエーションのある仏教、何が仏教かっていうとよく分かりません。インドから漢訳され中国に伝わったお経、当時偽物がたくさん出回り、その真偽を確かめる時の指標があったそうで、四法印と呼ばれます。ここから外れると仏教とはよばない、みたいな、仏教を仏教たらしめる原理だそうです。
  • 諸行無常
  • 諸法無我
  • 涅槃静寂
  • 一切皆苦

だそうです。4つ目は1つ目に含まれると解釈し三法印とする立場があって...、とか何とか、根本原理のところからすでにいろいろあるわけですが...。

諸行無常。全ての現象は刹那刹那に変化する。

諸法無我。諸法っていうのは、あらゆるものごと、概念化できるものすべて、みたいな意味だそうです。無我ですが、「我」っていうのは「自分」とか「私」とはちょっと違って、アートマンの「我」です。現代日本語では「霊魂」などと近い意味だそうです。で、霊魂はどこにもない、というのが「諸法無我」です。この「どこにもない」っていうのが、全てはかりそめの姿、全ては「空」、「ない」とはいうけど、ないんじゃなくて・・・、っていう「空」の思想につながるものです。

涅槃静寂。仏教が目指す境地です。涅槃はサンスクリットのニルヴァーナ(nirvana)のことで、滅、寂、などと訳される言葉。煩悩の火が吹き消された状態、悟りの境地、みたいな状態だそうです。苦しみから解放された静寂を目指すのが仏教、っていうことでしょうか。

一切皆苦。そもそも全ては苦しいものである。確かに仏教っぽいです。「苦」は、実際の苦痛っていうよりも広い意味で、思い通りにならないこと、みたいな意味だそうです。「苦」についてもいろいろあるんですがまたおいおい。

以上、たしかに仏教っぽい。とはいえ、例外や解釈の違いは山のようにあります。

で、「縁起」というのも、仏教の中心にある思想だそうです。「因縁」とか「因果」ともいいます、全ての結果には原因と条件がある、というものです。釈迦がこの「縁起」を分かりやすく説明したものが、「四諦八正道」というものだそうです。

「諦」は真理くらいの意味だそうです。4つあって、
苦諦 人生は苦である
集諦 苦の原因は煩悩である
減諦 煩悩を滅した境地が涅槃である
道諦 涅槃にいたる道が八正道である
で、八正道っていうのは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定...。そもそも正しいって何?って思うわけですが、そんなことがはっきり書かれているわけではなくて、それも諸行無常ってことなのかな。何が正しいかなんて一瞬一瞬変化する、そういうことなんでしょうか。

で、戒律っていうのもあるんです。戒にも律にも意味がそれぞれあって、ってまたややこしいのではしょりますが、二百五十戒とか三百七十一戒とかいろいろあるんです。たとえば「五戒」というのは、不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒で、殺す、盗む、淫らなことをする・思う、嘘をつく、酒を飲むことを戒めるのですが、重要なのは「してはならない」じゃなくて「しないようにする」だそうです。ううん...。ちなみに浄土真宗では戒律を捨てています。仏教といえどもいろいろです。

あとは、十二縁起、三学、六波羅蜜とかとかのお話でした。ずっと新出単語の嵐です...。

結局のところ何が仏教なのかよくわかりません...。内田樹が「学び」について、

「学び」というのは、「学ぶことの有用性や意味があらかじめわかったので、学び始める」というようなかたちでは始まらない。「学び」というのは、「その有用性や意味がわからないもの」(私たちの世界はそのようなもので埋め尽くされている)の中から、「私にとっていずれ死活的に有用で有意なものになることが予感せらるるもの」を過たず選択する能力なしには起動しない。「学び」を可能にするのは、この「意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。学びと暗黙知 - 内田樹

なんてことを書いていますが、今の僕にとって仏教思想はまさに「有用性や意味がわからないもの」です。でも予感はします。問題は、シロシベにも他にもいっぱい予感があることです。どうしたもんでしょうか。

研修の残すところあと半日。明日は作法のお勉強です。

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