「させていただく」について
先日、メールに「○○させていただきます。」と書こうとして、ふと、違和感を感じた。この言い回し、話し言葉でよく使っているけど、書き言葉ではあまり見ないような気がする。これは間違ってるのかな、方言なのかな、と思ってググってみたらNHKのサイトに「 視点・論点「させていただきます症候群」 」というページがあった。 「させていただきます」は、明治の文学作品にも確認される言葉です。しかし、現在、この「させていただきます」については、批判的な意見もあります。紋切型だ、慇懃無礼だ、卑屈だ、許可した覚えはない、などです。さらに、使いすぎる人を「させていただきます症候群」と呼ぶ人もいます。「させていただます」のどこが批判されているのでしょうか。 というわけで、5つの類型に分けてその違和感が説明されている。要約すると、 すっきり話そうよ 「させていただく」は「いたします」で代用可能。 誰を立てているの? 「させていただく」は「させてくれる人」を立てる敬語なので、「課長をさせていただいています」と言ってしまうと社外の人に対して身内の上司を立ててしまう。 だれに許可をもらったの? 「させていただく」は、だれかの許可を得て行動していることを示唆する言い回しだけど、誰に許可をもらっているのか不明。「努力させていただきました」って、自分で勝手に努力してるんじゃないか。 自分勝手すぎるよ 相手に迷惑をかける行為と「させていただきます」という言葉は合わない。「突然ですが、今日でバイトを辞めさせていただきます」は、一見したところ丁寧な言い回しに見えて、一方的に通告している。 「さ」はいらないよ 「休まさせていただきます」は「休ませていただきます」でよくて、不要な「さ」が入った「さ入れ言葉」とも呼ばれている。 うんうん、確かにそうかも~、とやや腑に落ちないまま納得してしまって、そのメールでは「させていただく」を使うのをやめたのだけど、後日、 司馬遼太郎の「街道をゆく 24 近江散歩、奈良散歩」 を読んでいたら「させていただく」に関する一説があった。 近江を語る場合、 「近江門徒」 という精神的な土壌をはずして論ずることはできない。門徒寺の数も多く、どの村も、真宗寺院特有の大屋根を聖堂のようにかこんで、家々の配置をきめている。この地では、むかしから