近況のメモ―ツイート募金、お金、縁、支援、関係性、魂の搾取、親鸞、梅干―

前回の更新、5月26日だったんですね。。。随分と間が開いてしまいました。いろいろと思うことがあって、ゆっくり考えてゆっくりブログ書きたいと思いつつ、ちょっとインプット過多でグダグダしてしまっています。とりあえず近況メモだけ。

前回、Adonateのこと書いてるんですね。で、ドメインとってはみたものの、思い描いているものを作る技術はないので、自動化できない部分は手作業でカバーしようという方針で、もうほぼできてるんですけど、「公開しました!使ってください!」と宣言する勇気が出ないままグズグズしている状況です。いい仕組みだという直感はあるのですが、何を恐れているのかな。。。もうちょっとグズグズします。

で、「シロシベのツイート募金」、これもゆっくり感想を書きたいと思いながら随分と時間がたってしまいました。いろいろ嬉しい出来事があって、なんだろう、分からないですけど、まだ咀嚼できない感じです。とにかく、便乗してくださった方、ツイートしてくださった方、本当にありがとうございました。

あと、この間に安冨歩氏の「経済学の船出」という本を読んでいます。これが本当に面白くて、またちゃんと感想文を書きたいと思いつつグズグズとしています。僕にとって経済学領域の本っておそらくこれが初めてなので、経済学っていうのが面白いものなのか、それともこの本がたまたま面白いだけなのか判断できないですが、目からこんなに大きなウロコが落ちたの初めて、という具合の衝撃です。「お金と縁」が関係するものだとは今まで思ったことがなくて、というか、考えてみれば当たり前のことですが、なんていうのか、最後まで読んでから感想文書きます。そういえばシロシベの資本金が5円なのですが、これは「ご縁」のだじゃれで、それ以外に特に意味はないと思っていたのですが、実は本当につながっていることを今になって気付かされ驚いています。

あと、ツイート募金の期間中で、リアクションの大きかったツイートに、

支援する側がされる側より偉いわけではないんですけどね。怪我をしたら体がリソースを傷口に集中するように、「私たち」の一部が傷ついてリソースをそこに集中するのは、そうしないと全部に不具合が出るわけで。「支援する/支援される」には原理的に上下はないですよね。たぶん。10 Jun, 2011 via Tweetie for Mac Favorite Retweet Reply


っていうのがあって、これもゆっくり考えたいところですが、またおいおい。

で、7月16日-18日のIPS(Intentional Peer Support)の研修会に参加しました。これは、もともとはシロシベでウェブサイトを作る、研究事業のお手伝いをする、という感じのスタートでしたが、それだけで終わるものでない、ということを感じます。なんていうのか、単なる対話の技法とか、療法とか、それだけのものでは全然なくて、「人をコントロールしようとする関係性と、権力・暴力の行使を温存している社会の仕組みに意識を向け、静かな革命の担い手なること」を目指す思想です。

で、この、革命思想なんていうのも、今までまるでピンときてなかったわけですが、というか、避けてきてたような気もするんですけど、311後でしょうか、「魂の搾取がそこかしこで行われている」ということをすごく感じてしまっていて、ずっとソワソワしているんですね。こんなことを書くと、何に目覚めてしまったのか、何かに取り憑かれたか、と心配されそうなので控えますが、上手く表現できる言葉というか、表現手法というか、行動を手探りしたいと強く思うようになっています。

で、このIPSを提唱するシェリー・ミード氏の言葉ですが、
私はピアサポートに関わりはじめた頃から、人々がこの絆を見出すのは素晴らしいことなのですが、でも、それに人々が閉じ込められてしまっているのを目にしてきました。ピアサポートで共有されている、その共通のもの、それが人々を障害に結びつけてしまっているようでした。ですから私は、ピアサポートを使って、意識的にお互いにチャレンジし、そこから抜け出すような関わりを始めました。つまり、信頼、敬意、偽りのないことに基づいた強力な関係をつくって、それを通してお互いが前に進み成長するように意図的に関わることです。共通していることをお互いに慰めあっているのじゃなくて。私が思うピアサポートは、強力で健康的な関係を誰かと作り、あなたの心をその人が少し開いてくれることを許し、それによって成長することです。

で、またさっきの安富先生ですが、
人間が型にはめられて使われる状態、それを「魂の植民地化」と呼んでいるのですが、...この「魂」は、自ずから発展する性質を持っています。魂を伸び伸びと発展させることではじめて人は、幸福とか安心を感じるものだと思います。...(様々な学問分野が)矛盾の上に成り立っていますが、そこが盲点となって隠蔽されつつ共有されることで、分野が成立しています。これを「盲点の共有」と言っていますが、同じように傷つけられた人間は、同じ傷を共有して舐めあうと、すごく楽なんです。偽りの絆と偽りの安心とを得られます。...人間がロボットになってしまって、暴走していることが、諸問題の根源だと。暴走は「魂の植民地化」「コミュニケーションの病理」によって生じると思っています。

伝わるかしら。。。びっくりするほど同じことを述べられているように感じます。つながり、絆、これ自体は人が生きる上でなくてはならないもので、時に居心地がよく楽にさせてくれるものですが、この関係が腐ってしまうと、傷を舐めあう関係、矛盾を隠蔽し合い盲点を共有する関係、相互に束縛し合い魂の成長を阻害しあう関係になってしまう。この腐ったコミュニケーション、偽りの絆、腐れ縁が今の時代の生きにくさの原因になっている、だから、相互に成長し、創発を促す関係性を目指すことが求められている、ということかと思います。強く共感します。

で、さらに、安富先生は、「親鸞ルネサンス―「愚」の大地に立つ―」という構想を練っていらっしゃるそうで、
「愚」の大地に立つ、とはどういうことか。自らを対象と切り離すことで「客観的」なフリをする「学問的・科学的手法」は、結局のところ、自らを安全な地帯に置いて他人を対象化する賢(さか)しらな暴力に過ぎない。自分自身と対象を切り離さず、対象に没入することで、逆に自らの「愚」を白日のもとに晒すことが、「愚」に立脚した「わたしひとりのための学問」である。


なんてことを書かれていて、シロシベの本社は親鸞が開いた浄土真宗の寺の庫裏の一室にあるわけで、社長は一応真宗の僧侶でもあり、こんなところでもつながっていて、なんとも言えない高揚感を感じます。

で、メンタルヘルスに関する研究のお仕事、会社経営、浄土真宗の僧侶、てんでバラバラでどこにどう着地すればいいんだろうかとずっと途方に暮れていたのですが、お金とご縁と対人関係とメンタルヘルスと学問と親鸞、実はバラバラどころかまるで一つのことのように重なっているようにも感じるようになりました。まあ、だからといって、何をすればいいのかさっぱり分からないことに変わりはないのですが。

まあ、何だか分からないのですが、お金と縁と対話、これらにちょっとずつ繋がるような気もする「シロシベの梅干チャリティ」をやってみます。
→ http://psilocybe.co.jp/special/umeboshi-charity/

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