阿弥陀 と अमिता と immeasurable
先日の教師教習 の講義の中で、「阿弥陀」という言葉についてのお話があった。 阿弥陀という言葉は、サンスクリットの「अमिता (amita)」が、中国にわたって「阿弥陀」と音写されて、日本にわたって「あみだ」と発音されるようになった言葉。サンスクリットと英語はともにインド・ヨーロッパ語族で兄弟のような言語なので、似ている言葉がたくさんあって、この「阿弥陀」についても、最初の「अ (a)」は、英語の「a-」や「un-」と同じ否定の接頭辞で「不」とか「非」の意味。後ろの「मिता (mita)」は、英語の「meter」や「measure」に対応する言葉で、「測る」とか「計る」の意味。なので、「阿弥陀」を英語で表すなら「unmeasured」や「immeasurable」などで、「計り知れない」という意味です、という話だった。 ほう...。「南無阿弥陀仏」というのは「無量の光と命に帰依します」という意味らしいけど、もっとくだけた日本語にしてしまえば、「あぁ、はかれない」とか「まじではかりしれない」「もう分かんないし、まかす。」とか、そんな感じなんだと思う。 お寺のお仕事、今ほとんどお手伝いできてないのだけど、おあさじ(晨朝勤行)だけは毎日(出張とか早朝に出かける時、時々寝坊する時以外)ちゃんと出るようにしてて、ここでは正信偈というものを読むのだけど、1回のおつとめで「南無阿弥陀仏」が38回出てくるのかな、まぁ、約40回ほど声に出して読む。毎日毎日「あぁ、はかれない。はかれない。」と。これからお寺の仕事をちゃんとするようになったら毎日数百回だ。考えてみれば「南無阿弥陀仏」が僕にとっては圧倒的な最頻出語だった(熱心な念仏者というよりは、単に引きこもって仕事してるから無口なだけだけど)。 で、この「Measure」だけど、シロシベの方でも頻出の重要単語で、こっちの Measure は、名詞では 尺度とかスケールとも呼ばれる「ものさし」 、動詞では「はかる」の意味で、健康状態や症状、態度や感情、性格などなどを数字で表す行為を意味する言葉だ。僕が今までにかかわった論文ではほぼ全てに出てくる言葉で、「○○は○○で Measure した」「この Measure の信頼性・妥当性は...」「こんな Measure を作った」などなど、誇張でもなく Measure