スピリチュアリティ、癒す知、リカバリー、スプライト

来月、島薗進先生にお会いする貴重な機会を得たので、予習しようと思い、「スピリチュアリティの興隆―新霊性文化とその周辺」を読んだ。読んで良かった。

WHOの健康の定義に加えられた加えられそうになった「霊的(spiritual)」という言葉、本屋さんの「精神世界」のコーナーに並んでいる本たち、ホスピスやビハーラなどの終末期医療、心理療法、セルフヘルプ、「気づき」のセミナー、お寺の様々なこと、などなど個別にバラバラに知っていたことが、「スピリチュアリティ」という補助線でつながって、それぞれの意味合いや文脈が読む前後で大きく変わった。

そして、僕にとって何より大きかったのは、大学で学んだことやその延長であるシロシベの仕事に関するもやもやと、伝統的な仏教の教団と深い関わりを持っていることに関するもやもや、この二つのもやもやが、「新霊性文化」というキーワードでつながったことだ。
新霊性文化はどのような観念や実践によって特徴づけられるだろうか。まず、新霊性文化は自らが、伝統的な宗教と近代科学や合理主義との双方の欠点を克服した新しい世界観、あるいは新しい運動や文化であると自覚している。現代の支配的な文化が伝統的な宗教や近代科学によって形成されたものであり、それが困難な行き詰まりを抱えていると考え、それらにかわる代替的な生のあり方を展望しようとする。
シロシベでは「近代科学や合理主義」に関わりの深い人に、お寺では「伝統的な宗教」に関わりの深い人にたくさん出会う。関わりが深いというか、まさにそれらの世界のど真ん中で生きている人たちと言ってもよいかもしれない。どちらの世界にも色んな人がいて、「困難な行き詰まり」を強く感じている人もいれば、そんなことは微塵も感じてなさそうに見える人もいる。僕の日々の仕事の中で、「どうにもこうにもやる気がでない仕事」と「頼まれてもいないのにやってしまう仕事」があるのだけど、どうやら、やる気が出る仕事というのは、この「行き詰まり」を超えていこうと模索している仕事なのではないか、という気がした。

伝統宗教については幼少期から、近代科学については大人になってから(とりわけ原発事故の後)、いろんな局面で「行き詰まり」を感じるけれど、とはいっても、まだまだ行ける、内側から次の時代の生のあり方を提案できる、とも思う(と思いたい)。どちらについても、もやもやした思いがたくさんあるけれど、このもやもやは、僕の人生のあり方に関する卑近なもやもやというだけでなくて、実は、「近代以降への転換という文明史的な変化の意識」に関するもやもやでもあった。そして、1960年代から同じようなもやもやを抱えつつ試行錯誤してきた人たちが、世界の様々な場所にいる、ということをこの本に知らされ、とても勇気づけられた。



そして、「<癒す知>の系譜」も読んだ。

1900年前後から1960年代までの「食」と「心」の領域での<癒す知>の歴史が概観されていて、マクロビオティックや脚気、呉秀三や森田正馬、知らないことがいっぱいあっておもしろかった。「近代の知」ではない知のあり方や世界観、それに関係する様々な動き、というのが上記の「スピリチュアリティの興隆」と共通する大きなテーマの一つだ。

呉秀三や森田正馬に影響を与えた井上円了とか、マクロビオティックの考案者の桜沢如一などは、その名前すら知らなかったので、「こんな人がそう遠くない過去の日本にいたのか!」と驚いた。井上円了は真宗大谷派のお寺の生まれだったり、桜沢如一は琵琶湖畔で健康学園を開いてたり、身近に感じる要素もいろいろあるのに、ううむ、知らないことだらけだ...。

で、あとがきで驚いた。
20歳前後に精神医学志望から宗教学へ転じたといっても、最初の研究課題、つまり卒業論文のテーマは「フロイトと宗教」だったから、それほどはなはだしくコースが変わったわけでもない。当時、東大医学部の保健学研究室をお訪ねし、『甘えの構造』の著者、土居健郎先生に卒業論文のご指導をお願いしたところ、宗教と心理療法がきってもきれない関係にあることをご示唆下さり、フィリップ・リーフの「フロイト-モラリストの精神」を教えていただいた。
若かりし頃の島薗先生が精神保健の研究室に出入りされてたとは全然知らなかった。僕はこの約30年後の精神保健研究室に進学したわけだけど、進学前はてっきりフロイトやユングの勉強をする所だと思っていた。でも、僕が進学した頃はエビデンス・ベーストの時代、やれ尺度だ統計だRCTだ、という感じで、授業やゼミでフロイトの話題なんてまるで出てこなくて、たまに出てきても歴史上の人物扱いで、「なんか思ってたのと違う...」と思いつつ、結局大学院までずるずる残ってしまったような感じだった。

主流なんてものは30年でガラッと変わってしまうものなんだな...と思ったり、近代合理主義とそうじゃない知のあり方の間の葛藤は明治時代から相も変わらず続いているんだな...と思ったり、だ。



1970年代以降の精神保健で、最も重要な思想的な動きはなんといっても「リカバリー」なんだと思う。リカバリーとは何か、というのはとても難しいのだけど、スピリチュアリティと関係しそうな特徴をあげるとすれば、

  • 病気や障害がなくなることがリカバリーではなく、困難な体験の意味付けが変化し、新しい満足と希望や価値に開かれていく過程のこと。
  • リカバリーとは目指すべき状態や理想の状態ではなく、常に変化する自分を取り巻く状況との相互作用であり、生活の仕方やものの見方が変化し続ける過程のこと。
  • リカバリーは個人的で個別的でユニークな過程であり、他人のリカバリーを生きることはできず、自らが主体的に自らのリカバリーを形作っていく必要があること。

などなどあって、個人の自己変容が目指される感じとか、権威的な組織を嫌う感じとか、ゆるやかなネットワークとアイデンティティが形作られる感じとか、近代のあり方(精神病院だったり研究手法だったり)の代替になろうとする感じとか(この領域の論文のタイトルには「alternative」という言葉がよく出てくるように思う)、1970年代以降に盛り上がっているスピリチュアリティ周辺の動きとぴったり同じだ。リカバリーの考え方を生んだ時代の背景が、今までよりちょっと奥行きのある景色として見えるようになった気がする。



で、来月島薗先生に会えるのに着ていく服がない!ということでTシャツを作ることにした。パッと思いついたのがスプライトのロゴ、今月めちゃくちゃ忙しいような気がするんだけど、というか来月ってもはや冬だけど、勢いで作ってしまった。



1961年に誕生して以来、その炭酸による刺激と清涼感のあるクリアな味わいが、世界で若者を中心に幅広い層からの支持を集め、現在では190以上の国や地域で販売されているロングセラーブランドです。ブランド名の語源は、英語のSpirit(元気の意)とSprite(妖精)に由来し、炭酸が威勢よくはじける様子、さわやかな透明感などを表現しています。
スプライトは Spirit 由来の名前だったのか...。1960年代に誕生してロングセラーっていうのも、スピリチュアリティの興隆と同じだ。こういう部分にも時代が反映されているというか、時代の潮流をとらえるコカ・コーラはさすがというか、グローバル大量消費社会の雄のお前が言うか、というか。ちなみにこのTシャツは非売品です。

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