30年コホートと1ツイート

GIGAZINEの「Wikileaksはなぜ世界中の国家を敵に回そうとしているのか?」を読んでいろいろ思ったのでメモです。Wikileaksの創設者であるジュリアン・ポール・アサンジ(Julian Paul Assange)へのインタビューだそうです。ちょっと長いですが引用。

ときに難しいのは、複雑そうな情報を手にとってもらうことなんです。僕がよく使う例は、2008年9月に米国特殊部隊が発行した不正規戦のマニュアルで、数百頁あります。特殊部隊が海外へ行き、その国の政府を転覆させようとしたり、あるいは、民間軍を後ろから操って、内乱を制圧するときのためのマニュアル、つまり、内乱の起こし方と制圧の仕方のマニュアルです。(内容は明らかに)国際法違反です。

(これを入手して公開した)のに誰も文句を言わない、なぜでしょう。単純な効率の問題です。200頁を超える書類など誰も読む時間がない。軍事用語を表す頭字語いくつか使われているので、辞書で調べる手間もかかる、内容を理解するための負担が大きすぎるんです。侵略された国の諜報部がこの書類を利用することはあっても、一般の政治論には登場しない。

そこで僕たちは考えました。どうしたらジャーナリストにその気になってもらい、読む時間を作ってあげられるのか。

実験したことがあります。チュベス大統領の元スタッフが書いた7千通近くのEメールを入手したときです。膨大な情報量です。経験のある記者は読む時間がない。そこで、独占権をオークションにかけました。だけど無理だったんです。手続きが難しすぎて。入札価格を決める前に一部分を見たがる人がいたり、その間他の誰にも見せるなとか難しすぎました。

情報が公開される以前は、独占状態だからすごく価値があるが、公開されれば供給は無尽蔵、従って公開された情報の商品価値はゼロになります。誰もがそれを利用できるので、ジャーナリストは儲からない、結果として誰も儲かりません。奇妙なことですけどね。

そこで僕らが作ろうとしているシステムは、情報提供のシンジケート化です。人権擁護団体のウェブサイトやメディア組織が、ウィキリークスを使った情報提供を要請する、あとは僕らが、保護管轄権をクリアしたり、メタデータを消去したり、公表に伴う法的リスクをとります。こうすることで提供される情報は千倍にもなります。同時に二次的報道の質も飛躍的に向上します。


国家機密なんて無縁の生活をしているので、Wikileaks自体にはあまり関係ないのですが、シロシベが何をしているかというと情報の売買です。だからすごく考えさせられます。シロシベでは、調査者から紙の調査票を送ってもらって、入力業者さんに電子化してもらって、そのデータを集計して、分析して、報告書書いて、とか、調査に行ってアンケートしたりインタビューしたり撮影したり録音したり、とか、素材を送ってもらってHTML書いて、とか、デザインして印刷して納めて、とか、全部そうです。シロシベの仕事は何か、というと情報の売買といってもいいくらいの感じです。「情報加工業」です。

で「誰も読む時間がない」っていうあたり、すごく考えさせられるんですね。僕自身、ネットのせいで浴びる情報が増えてて、ここ数年、テレビ、新聞、雑誌、ノータッチで生活していても、本は読むけど明らかに減ってて、トイレに座ってる時までiPhoneでネットをチェックしたりしていてもRSSリーダーやTwitterはかなり読み飛ばしてて、メールはまあ、今のところこなしてる感じですが、周辺では未読メールが数千件、みたいな話はよく聞きます。

明らかに情報過多なんです。で、そんなことは前から言われているわけですが、これはライフスタイルの問題というか、そんなに大したことだとは思っていなかったんです。でも、ジャーナリストがスクープになり得る情報を読む時間がない、とかってことになってるとちょっと考えさせられて、そういえば、身近に研究者がたくさんいるわけですが、みなさん論文を読む時間があるようには見えないんですね。そうでもないのかな。まあでも、由々しき情報過多、っていう感じがするんです。

一次情報と二次情報っていう言葉がありますが、二次情報過多なんです。二次情報って密度が高くて、たとえば論文とか、ものによっては数ページの原稿に数年とか数億円とか人生とか、いろいろかけて書かれてるんですね。で、内容を理解するための負担が大きい情報でもあります。で、しかもこういう論文が毎日山のように出版されてるわけです。

なんていうのかな、なんだろうかな...。

要するに情報過多に困っているわけですが、じゃあどうなって欲しいかと言うと、もっと情報の密度を上げて短時間で分かるようにしてほしい、っていうことでは全然ないんですね。メタアナリシスとかって、情報の密度をあげる作業だと思うのですが、政策立案とかガイドライン作成とか、そういう時には大事でしょうけど、僕にはあまり重要じゃないんですね。タバコが有害であることのエビデンスは山のようにあって、どんだけ質の高いメタアナリシスされたって、禁煙しようって思わないんです。...一方で、ちょっとしたきっかけで「やめる」かと言い出しそうな気もします。30年コホートと1ツイート、個人へのインパクトを考えるとその重さに差がないように思います。少なくとも画面上では全く同じ扱いです。

30年コホートと1ツイートが並列に絶え間なく頭に入ってくるっていう感じ、おもしろいんですけど、こういう感じだと、時間がかかるものを読んでられないんですね。だから、なんだろうな、人に伝えたいことはただ公開すればいいってもんでもないんだなぁ、ということを強く感じました。あと、情報の価値って、一方が持っていて一方が持っていないという非対称の落差の部分にあるわけですが、1クリックで落差が消えるということ、どういう意味か考えないといけないなぁ、と思います。

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