寄付について思うこと

090620

この東日本大震災を機に、社会をこうしたい、ああしたい、という色んな人の色んな思いに触れます。僕もいろいろあるわけですが、とりあえず、寄付について思うこととやりたいことを書きます。

チャリティー(charity)とは、慈愛・博愛・同胞愛または慈善の精神に基づいて行われる公益的な活動・行為もしくはそれを行う組織のこと。-✂- 文明が成長し、富の集中化が発生し社会内部に格差が生じるようになった。格差を緩和するため、一方では宗教が生まれ、一方では富の再分配が行われた。多くの文明では、両者は密接な関係を構築していき、富の再分配が宗教的な意味合いを与えられるようになった。-✂- 20世紀に入ると公的な社会福祉が高度に整備されたため、民間のチャリティーは相対的に傍系へと置かれるようになった。しかし、民間チャリティーは公的社会福祉ではカバーできない分野を担っており、特にイギリスやアメリカでは社会の中で大きな役割を果たし続けている。


社会の住み心地を良くする上で、富の再分配の方法は非常に重要だと思います。ってまあ当たり前ですが。で、今は公的機関におまかせになっていて、選挙でその分配の仕方に参画できる感じになっているのですが、もっと民間の企業や個人が直接采配をふるって再分配できるほうが楽しいと思うんです。税金ってお金の流れが見えないんですね。納税してることにさえ気づかず納税してるとか、税金由来のお金だということを忘れて使ってるとか、そういうことがよくあって、こういうのはもったいないと思うんです。

梅田望夫の「ウェブ進化論」ですが、

インターネットの真の意味は、不特定多数無限大の人々とのつながりを持つためのコストがほぼゼロになったということである。子供の頃に「1億人の人から1円ずつもらえたら1億円になるな」なんて夢を思い描いたことのある人は多いのではないだろうか。「1円くれませんか」と人々を訪ね歩けば、かなりの確率で1円なら貰えるとしても、1円貰うための労力・コストが大きいから、リアル世界では非現実な夢想に過ぎなかった。でも誰かから1円貰うコストが1円よりもずっと小さいとすれば、「不特定多数無限大の人々から1円貰って1億円稼ぐ」ネットビジネスは現実味を帯びてくる。


っていう記述があって、これはビジネスだけじゃなくて寄付や公益的な活動でもあてはまることだと思うんですね。今回の震災の義援金でもネット経由のものがたくさんあったと思うのですが、街頭の募金箱よりもはるかに低コストで被災地に届いてると思うんです。で、ウェブの、ロングテールを切り捨てなくていい感じとかも、例えば、被災地の自閉症児のケアへの寄付、といったニッチな寄付もウェブならつながれるし集まると思うんです。「そのきのこのきのこ基金」とかも、すごい勢いで売れてましたが、きのこが好きな人に直接つながれるウェブならでは、だと思います。

要するに、20世紀に入って富の再分配の機能が公的機関に集中したのは、集中したほうが効率がいいからだと思うんですが、インターネットの時代になってまた話が変わってきたように思うんです。

この震災で寄付やチャリティに注目が集まっていますが、これは平常時でもずっと続くといいなぁ、と思うわけです。もっと言うと、寄付金優遇税制をもっと大きくして、とかいろいろあると思うのですが、まあそういう制度のことはよく知らないのでおいといて、寄付やチャリティーの役割がもっと大きくなるといいんじゃないか、と思うんです。

で、実際に寄付する場合、「陰徳を積む」なんて言葉もあったりして、黙って見返りを求めずに寄付するのがいい、といった考えもあります。それはそれでいいと思うのですが、そんなにストイックじゃなくても、もっとこう、ざっくばらんに寄付できる空気ができるといいと思うんですね。「ユニクロ?ないない、今はしまむらでしょ。」みたいな感じで「赤十字?いやいや赤い羽根だって。」というか。もちろん、ユニクロもしまむらもあり得ない、マルイで全身揃うなんて人間やめたほうがいい、みたいな人もいると思うんです。そういう人にはそういう人用の寄付先があって、寄付先や寄附の行為が表現やメッセージになる、どういう世の中がいいと思うのか寄付という行為を通して表現する、みたいなのとかいいと思うんですね。

でまあ、社会の中で今後もっと寄付の役割が大きくなることを願って、シロシベのツイート募金を始めようと思うわけです。

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