好き?好き?大好き?と胡蝶の夢

R.D.レイン (著)、村上光彦 (訳)の「好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび」を読んだ。

著者のレインは、
ロナルド・D・レイン(Ronald David Laing、1927年10月7日 - 1989年8月23日)はイギリスの精神科医、思想家。
1950年代末から1960年代にかけて、統合失調症の患者を入院治療によって隔離・回復させようという当時の主流の精神医学に対し、むしろ地域に解放し、地域の側の認識を変容させることで治癒させることをめざす「反精神医学、anti-psychiatry」運動を提唱・展開し、デヴィッド・クーパーとともに同運動の主導者とみなされている。
この運動はまた、のちの家族療法や、『アンチ・オイディプス』などを書いたフェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズなどにも影響を与えた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ロナルド・D・レイン
統合失調症、地域、家族、反精神医学、ドゥルーズ、気になっているキーワードてんこ盛り。

対話形式の詩が多くて、解釈の幅が広くて、ポカーンとさせらるのだけど、妙にザワザワした気持ちにさせられたり、ニヤリとさせられたり、ゆっくり落ち着いた気持ちで時間をかけて読みたい本。

訳者あとがきによると、
機構(システム)が支配する世界においては、自分が社会の歯車だと思えればいいほうで、たかだか小さいねじ程度のものでしかないと考えられなくなることがあるものです。そんなとき、人は必死になって、自分の人格の独立を願い、人格どうしの連帯を求めるのです。…レインが示している数々の人間模様のなかには、石化への恐れ、すなわち《生きた人間から死んだ物に、つまり行動の主体性を欠いた死物、石、ロボット、オートメーションに、主体性のないものに変わる、ないしは、変えられる可能性についての恐れ》に憑かれた病者の苦悩を反映したものが見られます。
 弱者に対する切り捨て御免の態度への怒り
 家族が―ひいては社会が―尊敬・画一性・服従を促進するための策略を練っているとして、レインはこれらの策略をあばきだすために豊かな想像力を駆使しました。…社会を支えている、家族に根ざす支配構造の告発に努めてきました。
東洋思想の影響はこの本にも認められます。…荘氏にもとづいた一節もあります(胡蝶の夢)。…病者が妄想のなかで胡蝶であるとき、それは病者自身にとって現実の経験にほかなりません。家族や医師が病者に強制してその妄想を捨てさせるとき、それもまた圧制対犠牲者の関係になってしまうのです。
彼は一方で宇宙的規模に立って瞑想しつつ、他方では現在を生き抜かねばならぬ人間としての務めを忘れてはいないのです。
ああ、そんなメッセージが込められていたのか...、と読み返してみると確かにそう思えるけど、実際にはもっと広がりがあって、色んな読み方ができそう。

通常は、読み終わった本は古本屋さんに売るとか人に上げるとかするので段ボール箱に入れるのだけど、この本はまた読みたいので本棚に入れることにする。 

これで初めて知ったけど、荘氏の「胡蝶の夢」すごいですね。
昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。 自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。 不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。 周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。
人間か蝶か、夢か現実か、どっちも本当で、どうでもよい、と。

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