書道ジェニシティ(shodogenicity)を提唱したい

書道にはまってしまって、日常生活にも支障をきたすようになってきました(仕事が手に付かない、お風呂に入らない、朝の勤行をさぼる、など)。

ま、それはそれとして、新たな概念を発見をしたのでメモ。というか提唱したい。

臨書をしていると、これから書く字について、
「おお、これ書きたい!」と思う言葉と、
「ううん、これ気が乗らないなぁ。」と思う言葉が出てくる。

たとえば、笙、空、杏、夢、まき、星輝、徳島、錦、一碧、龍子、などは書きたい言葉で、一方、川辺、さらさ、伸、仁、八重、萌え、播磨、湘南、夜桜、などは気が進まない言葉(何の臨書してんだよ、という感じですが、それはまたおいおい...)。

この違いはなんだろうか、と考えてみた。言葉の意味は関係なく、画数や字の対称性、文字の組み合わせ、いろいろ関係ありそうだけど、どれもこの違いを説明できる決定的な要素ではなさそう。これらの要素とは独立した一つの「書道映えするかどうか」という概念(軸)があるんだな、ということに気づいた。

写真でも同じように、なんだか分からないけどかっこいい写真になる被写体と、どう工夫してもパッとしない被写体というのがあって、この間には説明の難しい違いがあります。この二つの間の違いを、フォトジェニシティの違いといいます。

フォトジェニック(photogenic)という言葉は、「写真写りの良い」とか「写真映えする」といった意味で使われる言葉で、写真に凝ったことがある人には分かる、あの「写真にするといい感じ」感のこと。たとえば人の写真。世の中には美人とそうでない人がいるわけだけど、美人がフォトジェニックかというと必ずしもそうではなくて、逆に、いわゆる美人ではないんだけど写真すると妙にいい写真になる、みたいな人がいるわけです。このようなことは、花でも虫でも風景でも建築でも道具でもあって、それ自体の美しさとかかわいさとかおもしろさとは次元の異なるフォトジェニシティという性質があります。

もちろん、人によって「美人」が違うように、かわいいと思う所、おもしろいと感じる所はぜんぜん違うし、フォトジェニシティを感じる被写体は写真を撮る人それぞれにぜんぜん違うわけですが、「どうしたらかっこいい写真になるんだろう。」と考え始めると見えてくる一つのそういう概念(軸)があります。

で、これとまったく同じことが書道にもいえて、書道映えする文字、言葉、文字の組み合わせ、というものがあるんだろう、ということです。

これを「書道ジェニシティ(shodogenicity)」と名付けたい。形容詞は、書道ジェニック(shodogenic)。発音はフォトジェニック(photogenic)と同じ感じで、フォトをショドにするとちょうどいい感じ。

具体的な用法としては、知人に子どもが生まれた時など、
「名前はなんていうの?どういう字をかくの?」
「○○っていうの。○○の○に、○○の○って書くんだ。」
「おぉ、その名前、書道ジェニック!」
みたいな。フォトジェニックもそうだけど、褒められてんのかバカにされてるんだかよく分からない感じが良いのではないでしょうか。

これから何かに名前をつけることがあったら、意味や韻や字形の他に、ググって何かとダブってないか(何とかぶってるか)調べる、ドメインやSNSのアカウントを取得できるか調べる、そして書道ジェニックかどうか検討する、というのが必須なのではないかと思う。

ともあれ、言葉を見る時に、新たな一つの軸が増えたというのは素晴らしいこと。

shodogenic
(お賽銭の包み紙...。)


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