高濃度塩素とモンゴメリのバスとすっぱい葡萄

先月、「原発事故で何が吹き飛んだか?~日本社会の隠蔽構造とその露呈~」という催しに参加して、そこで赤城修司さんという福島市の高校の美術の先生のお話を聞いて思ったことのメモ。

会の様子は、iwj.co.jp/wj/open/archives/6770←ここで見れます。IWJ会員は全部見れます。

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心を動かされる話がいっぱいあったけど、中でも印象に残ったのがこの写真の話でした。これは福島県内の学校のプールのフェンスに貼られていたものだそうで「プール内高濃度塩素立入禁止」と書かれています。昨夏はプールを使った授業が中止になり、また、このプールの水を抜くと放射性物質を含んだ水が下流の田んぼに流れてしまうために放流しておらず、事故後水が溜まったままになっているとのこと。放射性物質が含まれていることやその危険性を認識しているにもかかわらず、「高濃度放射性物質立入禁止」とは書かずに、なぜか「塩素」と書いてある。これを書いたのはこの学校の先生のはずで、政府や東電ではなく福島の現場の先生が、誰かの指示を受けるでもなく隠蔽に加担してしまっている状況があるのではないか、という話でした。赤城先生の「思いやり隠蔽」という言葉は正鵠を射た表現だと思います。

どうしてこういうことになってしまうのか考えていて思い出したのが、一昨年に読んだキング牧師の本で、 「自由への大いなる歩み―非暴力で闘った黒人たち」という本に書かれているバスの中のエピソードでした。

当時のアメリカには人種隔離政策があり、特に南部では、公共交通機関などでも黒人用と白人用の座席が分けられていた。この状況はおかしいと考える黒人の牧師がバスに乗り、白人用の座席に座っていたら、バスの運転手が席を移るように指示した。牧師はこれを拒否する。運転手は降りるように命令する。牧師は拒む。問答の後、運賃を返すという条件で牧師はバスを降りることにした。この時に、同じバスに乗っていた他の黒人の乗客に抗議の意味を込めて一緒に降りてくれるよう彼は言う。しかし誰一人これに応じるものはなく、そればかりか、一人の黒人の婦人が彼に歩み寄って、「あなたは現実をもっとよく知らねばなりません。」と諭した、というものです。

不条理から利益を得ている人だけでなく、不利益を受けている人が、不条理から目を背けるだけでなく、不条理が続く方向に加担してしまう。しかも善意に基づいて。

僕が、もし福島の学校の先生だったら、もしモンゴメリのバスに乗りあわせていたら、と想像してみる。その場で違和を表明する勇気があるだろうか、と想像してみるけど分からない。そんなこと想像してる暇があったら普段の仕事をしたほうがいいんじゃないか、という思いも頭をよぎる。でもやっぱり、それではダメな気がする。ううん、分からない...。

もう一つ思い出すのが、イソップ寓話の「すっぱい葡萄」という話。
キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。
防衛機制の「合理化」とか「認知的不協和」の例として挙げられるよく話で、目の前の矛盾した状況を変えたいけど変えられそうもない時、状況を変えるのではなく自分の態度や行動の方を変えてしまって辛さから逃れる、という話。これ自体は大事な心の働きで、身を守るために必要なことだと思うけど、「思いやり隠蔽」のように「どうせ手に入らない葡萄なんだから、見つけても辛い思いをするだけだから、見えないようにしてあげる。」というのはだいぶ違う話で、これはパターナリズムそのもの。

なんだけど、現場で葛藤しながら「高濃度塩素立入禁止」の張り紙を書かれた先生を、パターナリスティックだ何だと僕が言うことこそ「余計なお節介」だとも思う。

なんだけど、昨日のNHKのニュースで福島大学の入学式が紹介されてたけど、そこでも「思いやり隠蔽」なのか、放射能の「ほ」の字も出てこないわけで、やっぱりどう考えてもこの状況はおかしくて気持ち悪くて、黙ってしまってはいけないように思う。

キング牧師(暗殺されたのが1968年4月4日で、昨日が44回目の命日だったのですね。)の言葉、
問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める
Our lives begin to end the day we decide to become silent about things that matter
その通りだと思う。なんだけど、やっぱり途方に暮れてしまう。

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