「吾唯知足」と「Stay Hungry. Stay Foolish.」

Ryōan-ji Temple 25 - tsukubai 蹲踞

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「吾唯知足(われ、ただ足るを知る)」という言葉と、「Stay Hungry. Stay Foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ。)」という言葉、どっちも好きです。「そこで足りとけ」と「足りないままでいろ」という2つの言葉、正反対のことを言ってるようでいて、でも、言わんとすることは同じような気もして、でも、何がどう同じなのか、足りるって何のことか、ずっともやもやしていました。


平川克美 (著)「小商いのすすめ」 を読んでいて、ちょっと分かったような気がするのでメモです。

この本自体は、「これからの人口減少社会、もう経済成長至上主義ではどうにもならない。震災もあった。原発事故もあった。さあ、これからどうしよう。」という内容で、大きな流れとしては共感するけど、結局のところ、「昭和30年代は良かった」ということが前面に出すぎてて、飲み屋でおっさんのノスタルジックなお説教を聞かされているような、「はぁ、そうでしたか...」としか言いようのない感じになってしまうのがちょっと残念ではありました。

それはさておき、「吾唯知足」と「Stay Hungry. Stay Foolish.」です。この本の102ページ、橋本治の「貧乏は正しい!」を引用して解釈する部分があります。引用すると、
かれはここで、進歩とか発展という観念は、貧乏という状態のなかにしかないと言っています。…ここでいう貧乏とは、具体的に金がないとか、陋巷に暮らすといったことを意味しているわけではないのです。貧乏とは若さの別名であり、それは強さとか美しさといったこととも同義であるべきだということであり、人間の本源的な強さというものは貧乏という裸の人間の中にだけ宿っているということです。別の言い方をすれば、野生ということです。…富という武器を手に入れると、その瞬間に人間は、もう若さを失ってしまうし、進歩や、発展ということとは無縁の存在になるということです。…富は、誰もが憧れる欲望の対象ですが、いったんそれを手に入れたら人間は最も大切なものを失ってしまう。逆に言えば、富を手に入れるためには、人間は最も大切なものを諦めなくてはならないということです。富とは憧れであると同時に、恐怖でもあらねばならないはずのものだということです。なぜなら、いちばん大切なものである野生と富はトレードオフの関係にあるからです。
こういうトレードオフって、たとえば、ミュージシャンが売れてつまんなくなるとか、ウォシュレットがないとトイレ行けないとか、車に乗るようになって足腰が弱るとか、秘書がいないと切符の買い方が分からないとか、そういうことが思い浮かぶけど、そういう経済的、社会的、身体的なことだけでなくて、魂のあり方としての「野生」と「富」のトレードオフ、ありそうです。

で、「吾唯知足」は、きっと、今持っているお金や物、社会的地位、身体に満足しろとか、不平不満を言うなとか、そういうことじゃなくて、むしろ、それらを手に入れることで何を失うか自覚しろ、足りるということがどういうことか考えろ、今そこにある「貧乏(=若さ=強さ=美しさ)」に気づけ、という意味なのかなぁ、と思います。そして、「Hungry」と「Foolish」もこれと同じで、「貧乏(=若さ=強さ=美しさ=バカさ)」を失うな、ということなんだろうなぁ、と。

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