網野善彦と斎藤環と松岡宮
最近読んだ2冊の本。 網野善彦(著)「 日本の歴史をよみなおす 」 ずっと学校の歴史の授業では、歴史の何がおもしろいのかさっぱり分からずに大嫌いだったけど、今年「 無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和」を読んで すっかりはまった。 孫崎さんの「戦後史の正体」 もそうだけど、歴史を知ると、今目の前に見えてる世界の意味ががらっと変わるんですね(何を今更...かもしれないけど)。 本来捨てられるはずだったふすまの下地に使われてる紙に残された言葉から、公式に残されてる文書では見えてこない当時の人たちの生活が明らかになっていく様子とか、とてもスリリングでおもしろかった。 栄枯盛衰というか諸行無常というか、当時はものすごい勢いがあったであろう人やシステムが、跡形もなく消えて忘れ去られていくこと、あらためて驚く。と、同時に、人間の変わらなさにも驚く。 あと、家族と女性の地位について最近興味があるのだけど、そこで紹介されていた ルイス・フロイスの「日本覚書」 、すごくおもしろそうで買ってしまった。 で、2冊目は、斎藤環(著) 「 家族の痕跡―いちばん最後に残るもの 」 拙著『家族の痕跡』(ちくま文庫)にも引用した傑作詩「謝れ職業人」の作者が判明しました。松岡宮さんという方でした。 d.hatena.ne.jp/pentaxx/201208… — 斎藤環 (@pentaxxx) August 14, 2012 松岡先輩 の詩が引用されてるんだって!しかも、今関心のある家族がテーマ。というわけで即購入した本。詩は 斎藤環氏のブログ で読めます。必読。 宮崎駿の勤労感をややシニカルに紹介した直後にこの詩を引用して、 この詩に出会って以来、私はいっそう、「勤勉の美徳」なる概念については、疑いを持つようになった。「謝れ職業人」の過激さは、勤勉の自慢が有害である以上に、勤勉の美しさまでが暴力的であるというところまで届いているところだ。その職業が社会にとって有益か否かに関係なく、「職業を持つもの」は「持たざるもの」に謝罪しなければならない、という主張。この過激さは、果たしてどれほど理解・共感されうるだろうか。 僕はこの詩を読んで、自分が「白いブヨブヨした腹を踏みつけてサーフィンしている」こと、自分の無自覚の加害性に気付かされてショックでした