「リハビリの夜」を読みました
熊谷晋一郎著「リハビリの夜」を読みました。すごく良かったです。今まで読んだことのない種類の本でした。リハビリ論ですが、そこだけにとどまる広さや深さではなく、医学、福祉学、社会学、人類学、哲学、文芸、どの本棚においてあってもおかしくはなく、どこにあっても浮いている感じ本です。深い洞察と優しさがリアルで詩的な言葉で紡がれている、そんな本です。祖父江慎さんのブックデザインも素敵です。 私が体験していることをありありと再現してくれるような、そして読者がそれを読んだときに、うっすらとでも転倒する私を追体験してもらえるような、そんな説明が欲しいのだ。つまり、あなたを道連れに転倒したいのである。 というわけで、まんまと一緒に転倒させられるこの本、読みながら「後でブログに引用しよう」とページに折り目を付けていたのですが、たくさん折りすぎてしまって、もはや折り目の意味がなくなってしまうほどでした。どう紹介していいかよく分からないので、読んでいてグっときた場所をメモだけ。キーワードは、関係性と規範と官能でした。 まず関係性ですが、《ほどきつつ拾い合う関係》、《まなざし/まなざされる関係》、そして《加害/被害関係》という言葉を軸に語られます。 そう、夜は、私たちからトレイニーという重い鎧を剥ぎ取ってくれるだけでなく、彼らをもトレイニーという分不相応な役割から開放してくれる。昼間の光は、私たちをトレイニーに仕立て上げていただけでなく、彼らをトレイナーに仕立て上げてもいたのだ。 と、リハビリにおけるトレイナーとトレイニーの関係に始まり、 動きは世界と身体との間で生じる。世界との拾い合う関係の中で立ち上がる私の動きは、私の身体に意味を与えるのみならず、一方の世界にも意味を与えていくのである。 人と人、人と物、人と世界の間の関係も視野にいれた関係性にまで広がります。 …そこに空いた隙間は、つながろうとしてもなお残される、つながれなさのことである。この隙間は、私と人のあいだにも、私とモノのあいだにも、私と私の身体とのあいだにもある。しかし、人間はこのつながれなさを持っているからこそ、その隙間を埋めるように、他の人とつながるための言葉をつむぐのだし、外界にあるモノや自己身体との対話や手探りを通して、対象のイメージを繊細に分節化していくのである。 とか。なんていうのか、私と世界のつながり方、その関係性