マインドフルネス、mindfulness、正念、smṛti、स्मृति
ちょうど今から1年前に八正道について習ったりしていたのですが、今年も何の因果か八正道についてググったりしています。地域や時代、宗派(解釈)によって様々なバリエーションのある仏教ですが、八正道に関しては、仏教思想の中心に近い場所にあるものらしく、わりとどの宗派でも触れるものだと思います。
日本語では、
去年の研修では、日本語でああだこうだと教わって、結局の何のことだかよく分からなかったのですが、英語への訳され方を見てみるとむしろすっきりする部分もあったりするものですね。それで、原語のサンスクリット・パーリ語では、
だそうです。カレー屋さんのメニューみたい。漢字で「正」、英語で「right」に訳されているサンスクリットのsamyañc(सम्यञ्च् )ですが、オンライン梵英辞書によると、united, uniform, entire, correct, identical, whole, proper, complete, right, combined, forming one line なんて意味の言葉だそうで、「正」でイメージする意味と微妙に違います。
ちなみにmindfulness に訳されているsmṛti(स्मृति)の意味は、mindfulness, awareness, remembering, reminiscence, remembrance, memory, tradition, thoughtfulだそうで、記憶や伝統なんて意味も含まれているんですね。intentionに訳されているsaMkalpa(संकल्प)は、idea, intention, will, wish, purposeなどの意味だそう。intentional peer supportの「moving towards」を彷彿とさせます。英仏辞書では、【英】mindfulness→【仏】attention なのですね。
で、仏教の言葉を辿り始めると深い迷路に入ってしまいます。2000年以上にわたって、いろんな人がいろんな言葉に翻訳していろんな解釈をして、っていうことを繰り返しているので、もう仕方がないことです。で、古代インドの原語に遡れば正しい意味にたどりつくかっていうとそうでもなく、各地で発展され、洗練され、そういう多様性も含めて仏教思想なんだと思うのですが、なんていうか、あまりにも多様で複雑...。
で、下の図は、wikipediaの仏教公伝のページにある図です。
北インドで生まれた仏教が中国にわたって洗練されて、ベトナムに入って、それをティク・ナット・ハンが解釈して、西洋の言葉に翻訳して、みたいなことになっているのですが、そこで使われている言葉と朝鮮半島経由で日本に入って来ている言葉の対応、もうぱっと見ただけでは分からない感じになっているんですね。それで、「Mindfulness は仏教では「正念」という」なんてのもあのブログを見るまでまるで気付きませんでした。
絵までかいちゃいました..。たぶんこういうことになっていて、「正念」が日本に入ってきたのは千数百年前で、最近になって mindfulness という英語として別経路から入ってきた、ということだと思います。
インターネットってすごいですね。昔のお坊さんはそれこそ命がけで海を渡って中国に留学したりしてたと思うんですけど、暖房のきいた部屋でサンスクリットまで辿れることに感動しています。っていうことを海の向こうと雑談できることも改めてすごいことだと思います。
日本語では、
- 正見
- 正思惟(正思)
- 正語
- 正業
- 正命
- 正精進(正勤)
- 正念
- 正定
- right view, right perspectiveness, right vision, right understanding
- right intention, right motivation, right thought, right resolve, right conception, right aspiration
- right speech
- right action, right conduct
- right livelihood
- right effort, right endeavor
- right mindfulness, right memory, right awareness, right attention
- right concentration
去年の研修では、日本語でああだこうだと教わって、結局の何のことだかよく分からなかったのですが、英語への訳され方を見てみるとむしろすっきりする部分もあったりするものですね。それで、原語のサンスクリット・パーリ語では、
- samyag-dṛṣṭi • sammā-diṭṭhi
- samyak-saṃkalpa • sammā sankappa
- samyag-vāc • sammā-vācā
- samyak-karmānta • sammā-kammanta
- samyag-ājīva • sammā-ājīva
- samyag-vyāyāma • sammā-vāyāma
- samyak-smṛti • sammā-sati
- samyak-samādhi • sammā-samādhi
だそうです。カレー屋さんのメニューみたい。漢字で「正」、英語で「right」に訳されているサンスクリットのsamyañc(सम्यञ्च् )ですが、オンライン梵英辞書によると、united, uniform, entire, correct, identical, whole, proper, complete, right, combined, forming one line なんて意味の言葉だそうで、「正」でイメージする意味と微妙に違います。
ちなみにmindfulness に訳されているsmṛti(स्मृति)の意味は、mindfulness, awareness, remembering, reminiscence, remembrance, memory, tradition, thoughtfulだそうで、記憶や伝統なんて意味も含まれているんですね。intentionに訳されているsaMkalpa(संकल्प)は、idea, intention, will, wish, purposeなどの意味だそう。intentional peer supportの「moving towards」を彷彿とさせます。英仏辞書では、【英】mindfulness→【仏】attention なのですね。
で、仏教の言葉を辿り始めると深い迷路に入ってしまいます。2000年以上にわたって、いろんな人がいろんな言葉に翻訳していろんな解釈をして、っていうことを繰り返しているので、もう仕方がないことです。で、古代インドの原語に遡れば正しい意味にたどりつくかっていうとそうでもなく、各地で発展され、洗練され、そういう多様性も含めて仏教思想なんだと思うのですが、なんていうか、あまりにも多様で複雑...。
で、下の図は、wikipediaの仏教公伝のページにある図です。
北インドで生まれた仏教が中国にわたって洗練されて、ベトナムに入って、それをティク・ナット・ハンが解釈して、西洋の言葉に翻訳して、みたいなことになっているのですが、そこで使われている言葉と朝鮮半島経由で日本に入って来ている言葉の対応、もうぱっと見ただけでは分からない感じになっているんですね。それで、「Mindfulness は仏教では「正念」という」なんてのもあのブログを見るまでまるで気付きませんでした。
絵までかいちゃいました..。たぶんこういうことになっていて、「正念」が日本に入ってきたのは千数百年前で、最近になって mindfulness という英語として別経路から入ってきた、ということだと思います。
インターネットってすごいですね。昔のお坊さんはそれこそ命がけで海を渡って中国に留学したりしてたと思うんですけど、暖房のきいた部屋でサンスクリットまで辿れることに感動しています。っていうことを海の向こうと雑談できることも改めてすごいことだと思います。