13日目のメモ
震災から13日。メモ。この前3月20日までだったので今日は21~24日。
21日(月)は何してたっけか。。。通常営業モードに戻るつもりだったのですが、シロシベで関わっているウェブサイトで地震関連の情報を急ぎで更新してください、みたいなのがいくつかあってバタバタしてました。までも、無理してでも通常営業に戻さないと、なんて思ってしまって、ひっさしぶりに山道を走った。運動不足のくせに急に走って吐きそうになりました。というかちょっと吐いた。
22日(火)。4月納品の予定だったお仕事が地震の影響で前倒しになって、その作業。よく働いた。近日中にシロシベブログで紹介します。
で、この日の深夜、The New York Times の被災地の写真ページを見ました。「普通の仕事をすることが大事」「できることがなくても焦らない」「前向きにビジョンをもつ」とかいろいろ思い、通常営業に早く戻ろうとするのですが、この写真群を見てしまって、もう、やっぱそんなの無理だと気づきました。
であと、写真に写ってる光景は悲惨そのものなのに、写真がとてもきれいで驚いた。地震の当日から思ってましたが、海外メディアの写真のほうが圧倒的に質が高いんですね。撮影者が何者か、っていうのは必ず写される人に影響を与えるはずで、外国人がいたらもっと警戒されたりするんじゃないか、むしろその方が気をつかわないのか、それとももうカメラマンなんて視界に入ってないのか、などと思ったのですが、クレジットを見てみると、Shiho Fukada さんとか、Ko Sasaki さんとか、Ken Shimizu さんとか、Yuriko Nakao さん、とかとか。優秀な日本のフォトジャーナリストは日本のメディアと仕事しない感じなんでしょうか。
あと、「被災地の精神科病院の情報を求めています」のページ、NHKの福祉ネットワークで何度も紹介されてるとは聞いていたのですが、初めて実物を見た。「NHKのアナウンサーが読み上げてる!」っていうんでちょっと(というかだいぶ)感動しました。
23日(水)。前日に引き続きの作業。午前中で一段落して、午後から京都でお通夜。父が導師でその付添みたいな感じでの参加です。こういうの「諷経(ふぎん)に行く」っていうんですけど、「読経する」の意味なんですね。諷経に行ってきました。この日かな、東京の上水道から放射性ヨウ素が出たの。電気もすぐに回復しなさそうで、首都機能移転の話題がいろんな場所で聞こえ始めた印象。
24日(木)は、朝から京都に行ってお葬式。午後以降はメールの返信だけで精一杯。
この間、印象に残った言葉いろいろあって、そのなかでビートたけしの
っていうのが、お葬式に出たこともあって特に印象的です。
たとえば今、リビアでは多国籍軍が空爆しててたくさん亡くなってるわけですが、確かにこれについて心が動いているかっていうと動いていないんですね。日本では毎年100万人が死んでて、3万人が自殺してるわけですが、これについても心が動かないのはみんな知らない人だから、っていう説明はできると思うんです。でも、この震災で僕は知人を一人も亡くしてはいないんですね。明らかに「三人称の死」なんです。なのに、なんで僕はこんなに動揺してるんだろう、って思うんですけど、なんなんでしょうか。。。
今日出席したお葬式、亡くなった方に直接の面識はないものの、間接的にはたくさんつながりのある人で、残された人の涙を間近に見たりして、っていうか、よく分からない。なんにも分からない。
とりあえず、意識的に通常運転に戻そうとするのはあきらめました。とりあえず仕事はたくさんあって、しかも全部遅れ気味で、それをする以外にろくな選択肢はなさそうなので、まあ黙ってこなせばいい、というか、それしかないですね。。。っていうか寝ないと。
21日(月)は何してたっけか。。。通常営業モードに戻るつもりだったのですが、シロシベで関わっているウェブサイトで地震関連の情報を急ぎで更新してください、みたいなのがいくつかあってバタバタしてました。までも、無理してでも通常営業に戻さないと、なんて思ってしまって、ひっさしぶりに山道を走った。運動不足のくせに急に走って吐きそうになりました。というかちょっと吐いた。
22日(火)。4月納品の予定だったお仕事が地震の影響で前倒しになって、その作業。よく働いた。近日中にシロシベブログで紹介します。
で、この日の深夜、The New York Times の被災地の写真ページを見ました。「普通の仕事をすることが大事」「できることがなくても焦らない」「前向きにビジョンをもつ」とかいろいろ思い、通常営業に早く戻ろうとするのですが、この写真群を見てしまって、もう、やっぱそんなの無理だと気づきました。
であと、写真に写ってる光景は悲惨そのものなのに、写真がとてもきれいで驚いた。地震の当日から思ってましたが、海外メディアの写真のほうが圧倒的に質が高いんですね。撮影者が何者か、っていうのは必ず写される人に影響を与えるはずで、外国人がいたらもっと警戒されたりするんじゃないか、むしろその方が気をつかわないのか、それとももうカメラマンなんて視界に入ってないのか、などと思ったのですが、クレジットを見てみると、Shiho Fukada さんとか、Ko Sasaki さんとか、Ken Shimizu さんとか、Yuriko Nakao さん、とかとか。優秀な日本のフォトジャーナリストは日本のメディアと仕事しない感じなんでしょうか。
あと、「被災地の精神科病院の情報を求めています」のページ、NHKの福祉ネットワークで何度も紹介されてるとは聞いていたのですが、初めて実物を見た。「NHKのアナウンサーが読み上げてる!」っていうんでちょっと(というかだいぶ)感動しました。
23日(水)。前日に引き続きの作業。午前中で一段落して、午後から京都でお通夜。父が導師でその付添みたいな感じでの参加です。こういうの「諷経(ふぎん)に行く」っていうんですけど、「読経する」の意味なんですね。諷経に行ってきました。この日かな、東京の上水道から放射性ヨウ素が出たの。電気もすぐに回復しなさそうで、首都機能移転の話題がいろんな場所で聞こえ始めた印象。
24日(木)は、朝から京都に行ってお葬式。午後以降はメールの返信だけで精一杯。
この間、印象に残った言葉いろいろあって、そのなかでビートたけしの
「2万人が死んだ一つの事件」じゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。
っていうのが、お葬式に出たこともあって特に印象的です。
たとえば今、リビアでは多国籍軍が空爆しててたくさん亡くなってるわけですが、確かにこれについて心が動いているかっていうと動いていないんですね。日本では毎年100万人が死んでて、3万人が自殺してるわけですが、これについても心が動かないのはみんな知らない人だから、っていう説明はできると思うんです。でも、この震災で僕は知人を一人も亡くしてはいないんですね。明らかに「三人称の死」なんです。なのに、なんで僕はこんなに動揺してるんだろう、って思うんですけど、なんなんでしょうか。。。
今日出席したお葬式、亡くなった方に直接の面識はないものの、間接的にはたくさんつながりのある人で、残された人の涙を間近に見たりして、っていうか、よく分からない。なんにも分からない。
とりあえず、意識的に通常運転に戻そうとするのはあきらめました。とりあえず仕事はたくさんあって、しかも全部遅れ気味で、それをする以外にろくな選択肢はなさそうなので、まあ黙ってこなせばいい、というか、それしかないですね。。。っていうか寝ないと。