3月31日
メモの続き。相変わらずいろんな情報で心が動かされる日々が続いています。とはいえ年度末、従来から予定されていたお仕事をしどろもどろでこなしている感じです。
25日、何してたのかな。。。普通の仕事と震災の影響を受けた仕事が半分ずつくらいかな。26日、永代経法要という法要がお寺でありました。義捐金箱が回される以外は例年通り。27日、地域の川掃除があった。これもまた表面的にはいつも通りなのかな。28日通常営業。やはり仕事の能率が落ちているようで、ずっと睡眠を削っている感じがします。29日東京日帰り。震災後初めての東京、街が本当に暗くて静かで道行く人の表情が沈んでいるようにも見えました。街が静かで沈んでいると、街行く人がちょっと知的に見えたりますね。昨日30日、今日が31日、今年度は年度末が2週間くらい後ろにずれた感じがしますが、年度末のお仕事もうひと踏ん張りです。
あ、あと、京都府&滋賀県の東北地方太平洋沖地震災害支援本部っていうのがあって、
京都府と滋賀県は地元の市町村と協力をして、福島県からの被災住民の皆さまの避難先を確保し、その移動手段、生活物資、生活場所、子弟の教育環境、医療などの確保をお約束いたします。
ってことで、受け入れ先の確保に尽力しているというニュースがあったので、「うちのお寺で2~3世帯10名程度なら受け入れ可能です」と3月25日にメールや電話で申し出たのですが、「希望者があればまた連絡します。」と言われたまま音沙汰なしになっています。これは希望者がいないってことなのか対策本部がパンクしてるってことなのかよく分かりませんが、督促するようなものでもなさそうなので、もうしばらく静かに待っていたいと思います。
この間、原子力発電所の状況がシビアであることがどんどん明らかになり、一方でインフラが復旧し支援が届く範囲は増え、それにともなって被害の深刻さがさらに明らかになり、原発に関しては電力会社から、政、官、産、学、報道にいたる広い範囲の癒着が指摘され、それらに警鐘を鳴らす声に鈍感で無関心であったことを反省させられ、被災地から直接届くようになってきたツイートやブログ記事を読んでは無力感にさいなまれ、不信が不信をよぶ言葉の波に翻弄されている状況が続いています。
2~3日前のニュースですが、原子力発電所の近くで遺体が見つかり警察官15名が防護服を着て現地に向かったが、遺体表面からの放射線量が高く搬送もできない、なんていうのとか、もう、どの部分に何を思っていいのか分かりません。
応援することも、憤ることも、感謝することも、仕事することも、消費することも、寄付することも、祈ることさえも虚しい気持ちになります。っていうか、そもそもそれらをどこに向けていいのかも分かりません。