親鸞聖人750回大遠忌法要

昨日と一昨日、2日間にわたって親鸞聖人750回大遠忌法要という50年に一度の大きな法要が行われました。思うところはいろいろありましたが、とりあえず写真でメモです。ちなみに前回の700回忌の写真はこちら


750回忌は2日間ともとてもよいお天気でした。電線の地中化工事しないのかなぁ。


当日朝の準備が始まります。受付、会場設営、記念品、営繕、送迎、会計...、数十人の門徒の方々と準備です。学会運営みたいです。僕は直前に知りましたが門徒の方々が運営資金を10年間積立てての実施です。このような運営の仕方は、都市部のお寺でも逆に過疎地のお寺でも、今はきっと難しいんだと思います。規模などは縮小傾向にあるとはいえ、これからの課題はいろいろあるとはいえ、地域社会のつながりにお寺が役割を持ち続けていることはとても貴重なことで、ぜひ残ってほしいと思いますが、じゃあ住職はどうすればいいか、っていうとこれまた難しい話です。


このように仏壇の周辺に供え物をして飾ることを、「荘厳(しょうごん)する」と言います。大きさが分かりにくいですが、この花は高さが1.5mくらいあります。お寺のお花教室に通われている皆様の5人日仕事です。

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法要前の控え室(っていうのかな、何か特別な言葉がありそうだけど思い浮かばないなぁ)。緊張感の高いピンと張った空気です。


1日目の最初の法要、「大逮夜(おおたいや)」です。逮夜は命日の前夜、の意味で、馴染みのある言葉ではイヴのようなものです。イヴは誕生前夜か。


1日目の夜。夜も続きます。


「初夜(しょや)」という1日目の夜の法要です。日曜学校の子どもたちが主役です。明治の学制以降、寺子屋の役割は消えていきましたが、今の時代だからこそ必要なお寺ならでは教育というのもきっとあるんだとは思います。そこらのバイトの塾講師なんかよりよっぽど勉強できるぜ、とは思いつつ、学校でも進学塾でもできないお寺ならでは教育、なんてことを考え始めるとなかなか簡単なことではありません。


夜の法要の後の腹話術。高校で社会の先生されていて、退職後に腹話術を始められた、竹とり座の竹の屋善右衛門さんです。子どもたちは大喜び、一部のお年寄りは人形を本当の生き物と間違って感心するなど、とても楽しい時間でした。赤ん坊から90代までというオーディエンス、なかなかありません。


そして2日目の満日中(まんにっちゅう)、メインの法要です。14人の法中(ほっちゅう、お坊さんのことです)による奉讃大師作法という作法です。


本尊のまわりをグルグル回りながら唱える行道(ぎょうどう)という作法です。やったことはおろか、見たこともありません...。僕だけ事前に手取り足取り教えてもらってのぞんだわけですが、他のお坊さんは「行道で。」の一言で通じて、ピシッときまるんですね。緊張しました。


父と2ショット。七條袈裟という最もフォーマルな装束です。初めて着ました。


法話。去年の11月に通っていた研修の法話のコマの講師の先生です。ちゃんと全部聞けていなくて残念です。


終わった後の御斎(おとき)。東京ではしばしばお酒飲んでいいの?とかお肉食べていいの?とか聞かれるのですが、お坊さんの多いこの地域でそのような質問をされたことはありません。浄土真宗に限らず、日常的に肉を食べない酒を飲まない、というお坊さんは日本では少数派です。


片付けも終わった後の御斎。打ち上げです。次回は生きてないけど...、という話題が頻出する珍しい打ち上げです。


お寺の子どもの境遇。「寺の長男です」っていうと「いいなぁ」とも「かわいそう」とも言われます。実際、幸運だとも不運だとも思うことができます。結局のところは、どこに生まれるかとか、どこで何をして生きるかとはどうでもよくて、そこでどう生きるか、ということが大事なんだろうとは思います。じゃあ、どうすればいいのか、というとよく分からないわけです。

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