気持ちの言葉と事実の言葉
袰岩奈々著「感じない子ども こころを扱えない大人」を読みました。
という目次の本です。
心の中身そのものを扱う文章はとても難しくて、エビデンスベーストで理論的にピチピチだったりすると、もやもやっとした心の輪郭とか襞とかっていう部分が見えなくなってしまい、一方で、直感ベーストで過度に詩的だったりレトリカルだったりすると、それはそれでもやもやっとした襞の中に溺れてしまって何が何だか分からなくなってしまいます。この本は、実体験に基づいた日常生活の言葉で分かりやすくて、かといって、浅薄というわけでは全然なくて、共感したり考えさせられたり、身につまされたり、とても楽しく読めました。
「気持ちを言葉にして表現することの大切さ」がこの本のメインコンテンツの一つです。これは本当に大切なことだと思います。職場でも家庭でもどこでもそうだと思います。なぜ大切か、どうすればできるようになるか、についてはこの本を読んでいただくとして、気持ちを言葉にして表現することが自分はできていない点については棚に上げておくことにして、今日は、ウェブで気持ちを言葉にして表現することについて思ったことをメモ。
この本でも書かれているように、感情は仕事のじゃまになることが多いわけです。メールの返信一つとっても、要件以外の言葉への返事にとても時間がかかります。要件以外の言葉、天気や季節の話題、時事ネタ、感想、言い訳、ジョーク、いろいろありますが、こういうのって、単に仕事を進める上ではじゃまな言葉です。今のご時世、ウェブのおかげで、言葉を一言も交わさずにできることが多くて、例えばシロシベの仕事だと、資料や物品の購入、サーバーの契約、印刷の発注、出張の手配、全部「こんにちは」すら使わずに完了します。要件以外のやり取りがまるでないので、とてもタイトで速くて効率的です。ここで行われるのは気持ちは省略した事実だけのコミュニケーションです。
タイトで速くて効率的であることがそんなに嬉しいか、っていうと、もちろんそれだけで満たされないわけで、気持ちよく仕事するうえでは、やっぱり要件以外の言葉のやりとり、気持ちの言葉のやり取りってとても大切です。「ありがとう」「素敵」「きれい」なんて言葉は、それが時間と手間と思いを込めた仕事だったりした場合には、この言葉のために仕事してるんだな、と思えることもあったりするわけで、気持ちの言葉は仕事を進める上で重要、というか仕事の目的になるほど重要です。大きな喜びにつながるのは、客観的に定量化できる事実よりも、文脈や物語のある気持ちの言葉です。
今日、数年間連絡の途絶えていた知人をtwitter で見つけて思ったのですが、ブログやSNS、Twitter などで行われるコミュニケーションって、気持ちの言葉が多いんですね。だから、数年のブランクがある知人だったりすると、相手が今日の朝食に何を思ったかは知ってるけど、どこで誰と住んでて何の仕事してるかよく分からない、みたいなことになります。客観的事実を省いた気持ちの言葉だけの共有、みたいなことになるんですね。
で、ウェブって、気持ちを省略した事実のコミュニケーションと、事実を省略した気持ちだけのコミュニケーション、両方を先鋭化するツールなのかな、って思いました、という話です。
第一章 「気持ち」についての研修会
1. もやもや気分の正体がつかめない
2. “ネガティブな気持ち”を扱う
第ニ章 ジャマモノ扱いされる感情
1. 感情をあとまわしにしてきた大人たち
2. カウンセリングの現場から
3. 感情が混乱のもと
第三章 今、こころはどんな感じ?
1. 困ったコミュニケーションがおきる仕組み
2. 気持ちに気づき、それを認めるには?
第四章 「気持ちの言葉」で話してみよう
1. 大人が“自分の気持ち”に気づくための練習問題
2. 大人が子どもと話すための練習問題
という目次の本です。
心の中身そのものを扱う文章はとても難しくて、エビデンスベーストで理論的にピチピチだったりすると、もやもやっとした心の輪郭とか襞とかっていう部分が見えなくなってしまい、一方で、直感ベーストで過度に詩的だったりレトリカルだったりすると、それはそれでもやもやっとした襞の中に溺れてしまって何が何だか分からなくなってしまいます。この本は、実体験に基づいた日常生活の言葉で分かりやすくて、かといって、浅薄というわけでは全然なくて、共感したり考えさせられたり、身につまされたり、とても楽しく読めました。
「気持ちを言葉にして表現することの大切さ」がこの本のメインコンテンツの一つです。これは本当に大切なことだと思います。職場でも家庭でもどこでもそうだと思います。なぜ大切か、どうすればできるようになるか、についてはこの本を読んでいただくとして、気持ちを言葉にして表現することが自分はできていない点については棚に上げておくことにして、今日は、ウェブで気持ちを言葉にして表現することについて思ったことをメモ。
この本でも書かれているように、感情は仕事のじゃまになることが多いわけです。メールの返信一つとっても、要件以外の言葉への返事にとても時間がかかります。要件以外の言葉、天気や季節の話題、時事ネタ、感想、言い訳、ジョーク、いろいろありますが、こういうのって、単に仕事を進める上ではじゃまな言葉です。今のご時世、ウェブのおかげで、言葉を一言も交わさずにできることが多くて、例えばシロシベの仕事だと、資料や物品の購入、サーバーの契約、印刷の発注、出張の手配、全部「こんにちは」すら使わずに完了します。要件以外のやり取りがまるでないので、とてもタイトで速くて効率的です。ここで行われるのは気持ちは省略した事実だけのコミュニケーションです。
タイトで速くて効率的であることがそんなに嬉しいか、っていうと、もちろんそれだけで満たされないわけで、気持ちよく仕事するうえでは、やっぱり要件以外の言葉のやりとり、気持ちの言葉のやり取りってとても大切です。「ありがとう」「素敵」「きれい」なんて言葉は、それが時間と手間と思いを込めた仕事だったりした場合には、この言葉のために仕事してるんだな、と思えることもあったりするわけで、気持ちの言葉は仕事を進める上で重要、というか仕事の目的になるほど重要です。大きな喜びにつながるのは、客観的に定量化できる事実よりも、文脈や物語のある気持ちの言葉です。
今日、数年間連絡の途絶えていた知人をtwitter で見つけて思ったのですが、ブログやSNS、Twitter などで行われるコミュニケーションって、気持ちの言葉が多いんですね。だから、数年のブランクがある知人だったりすると、相手が今日の朝食に何を思ったかは知ってるけど、どこで誰と住んでて何の仕事してるかよく分からない、みたいなことになります。客観的事実を省いた気持ちの言葉だけの共有、みたいなことになるんですね。
で、ウェブって、気持ちを省略した事実のコミュニケーションと、事実を省略した気持ちだけのコミュニケーション、両方を先鋭化するツールなのかな、って思いました、という話です。